Monthly Archives: 2月 2022

SDGインパクト基準 | 平林良人の『つなげるツボ』

—————————————————————
■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.348 ■□■
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** SDGインパクト基準 ***
—————————————————————
2021年7月に国連(国連開発計画:UNDP)から「企業・事業体
向けSDGインパクト基準」が発行されました。副題は「インパク
トマネジメントを意思決定に組み込む~持続可能な開発とSDGs
達成に向けて~」となっています。

2021年12月には、この「SDGインパクト基準」を国連が発行す
るシール使用の認証基準にするというアナウンスがありました。

ISOマネジメントシステムの認証制度と同じような外部認証が行
われるということです。その概要は今年夏頃に発表されるとのこ
とでしたが、
「ウオッシュ:wash」にしてはならない
という発言が重くひびきました。

SDGsとは、
“Sustainable Development Goals”の略で、「持続可能な開発」
と日本語訳されています。

■■ SDGとSDGs ■■
「小文字sのない」“SDG”と「小文字sある」“SDGs”とは何が
違うのでしょうか。

まずはSDGsについてお話ししたいと思います。最近街中で17
色のカラフルなバッチを付けている人を見かけます。

SDGsに賛同しているという意思表示なのか、会社でSDGsを推
進しているのか、SDGsに関して何らかの表彰を受けたのか、い
ろいろ背景は違うのでしょうが、年々バッチを付けている人が増
えています。私も社外取締役をしている会社が経済産業省から
SDGs表彰を受けたとしてバッチをいただきました。

2015年、国連は2030年までに世界をよりよくするための道筋を
描く開発目標アジェンダを決定しました。この「国連2030アジェ
ンダ」は2000年に決議した2015年までのミレニアム開発目標
(MDGs: Millennium Development Goals)に次ぐ、向こう15年
間に渡って国連が主要な活動として網羅した総合的活動計画です。

その中には、「持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development
Goals)」と呼ばれる17の目標があります。

17も目標があるので、“SDGs”と「小文字s」が付いているのです。

かたや「SDGインパクト基準」の方は、「17目標及び169ター
ゲット」を企業が適切に構築、運営するルールを決めている基準
で、この基準は一つしかないので「小文字s」は付かないのです。

■■ SDGsの実現 ■■
いま169のターゲットと言いましたが、17の目標は更に具体化さ
れた169のターゲットに落とされています。

今年2022年は正式なSDGs開始から7年目になりますが、世界
の人々はまだどのようにSDGs実現に取り組むのか思案していま
す。SDGsが大掛かりな取り組みであることは明確ですが、どの
ように取り組むかに関しての手がかりは一般に知られていません。

最初に「国連2030アジェンダ」を説明しましょう。
そのあと「持続可能な開発目標:SDGs」を説明しましょう。
最後に「SDGインパクト基準」について説明をしたいと思います。

■■ 国連2030アジェンダ ■■
「我々の世界を変革する持続可能な開発のための2030アジェン
ダ」とは次のようなものです。少し硬い話ですが、これからの基
本になりますので我慢して読んでください。

I. 前文
アジェンダの前文では、アジェンダが人間、地球及び繁栄のため
の行動計画であることを明確にしている。
・より大きな自由における普遍的な平和の強化を追求ものでもある。

・あらゆる形態と側面の貧困を撲滅することが最大の地球規模の課
 題である。

・すべての国及びすべてのステークホルダーは、協同的なパートナー
 シップの下、この計画を実行する。

・人類を貧困の恐怖及び欠乏の専制から解き放ち、地球を癒やし安
 全にすることを決意している。

・世界を持続的かつ強靱(レジリエント: resilient )な道筋に移行
 させるために緊急に必要な、大胆かつ変革的な手段をとることに
 決意している。

・この共同の旅路に乗り出すにあたり、誰一人取り残さないことを
 誓う。アジェンダには17の持続可能な開発のための目標(SDGs)
 と、169のターゲットが明記されている。

・これらの目標とターゲットは、ミレニアム開発目標(MDGs:
 Millennium Development Goals)、すなわち、2000年9月国連
 ミレニアムサミットで2015年までに達成するとした目標を基に
 して、ミレニアム開発目標が達成できなかったものを全うするこ
 とを目指すものである。

・これらは、すべての人々の人権を実現し、ジェンダー平等とすべ
 ての女性と女児の能力強化を達成することを目指す。

・これらの目標及びターゲットは、統合され不可分のものであり、
 持続可能な開発の三側面、すなわち経済、社会及び環境の三側面
 を調和させるものである。

・これらの目標及びターゲットは、向こう15年間にわたり、行動
 を促進するものになる。

ハラリの「サピエンス全史5」 | 平林良人の『つなげるツボ』

—————————————————————
■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.347 ■□■
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** ハラリの「サピエンス全史」 ***
—————————————————————
ハラリは、人類10万年の歴史の特異点(シンギュラリティ)に認知
革命、農業革命、科学革命の3つを上げています。認知革命は7万年
前、農業革命は1万年前に起こりました。最後の「科学革命」はわず
か500年前に起きたとしています。
しかし、今日2022年までの間に、人類は大変な発展をしました。
1500年には、全世界にホモ・サピエンスはおよそ5億人いましたが、
今日その数は78億人に達しています。当時の1年に生み出された財
とサービスの総価値は、今日のお金に換算して約2,500億ドル(25兆
円)と推定されますが、2022年は約60兆ドル(6,000兆円)と240
倍になっています。1500年には、1日に人類はおよそ13兆カロリー
のエネルギーを使っていましたが、今日は115倍の1500兆カロリー
のエネルギーを消費しています。

■■ 世界地図 ■■
中世の宗教も哲学も自分たちは神から使わされた使徒であり、絶対的
な存在でこの世で知らないものはないと信じていました。当時の多く
の人々は、天上の神の存在をお互いが信じているというだけで、知ら
ない人間同士がネットワークを作り互いに協力し合うことが出来まし
た。この神話がたとえ虚構であり、架空な話であっても、信じてしま
えば実際にあるものとして人類を結び付けることとなり、その功績は
大きなものであったと言えます。しかし、神から使わされた自分達に
は知らないものはないという信念は人類の発展を妨げていました。

当時の世界地図には自分たちの領土以外、ぎっしりといろいろな大陸、
島が描かれていました。しかし、それらはコロンブスが1492年にア
メリカ大陸を発見した途端に嘘だと証明されてしまいました。
16世紀には地球を1周した人間が出てきました。1522年マゼランの
遠征艦隊が7万2千キロメートルの旅を終えてスペインに帰り着いた
とき、歴史が変わりました。

その後も含めての大航海の結果から、15世紀から16世紀にかけて、
ヨーロッパ人は空白の地図を作るようになりました。これは大きな転
換で、人類は今まですべてのことを知っていると思っていたことを止
めて、知らないことははっきりさせよう、知らないことが多くあるの
だということを認めたのです。

■■ 無知な人 ■■
人類は認知革命以降、森羅万象を理解しようと膨大な時間と労力を注
ぎ込んで自然界を支配する法則を発見しようとしてきました。
しかし、大航海の時代を迎えて、人類には知らないことがあるという
概念が広がりました。科学革命は知識の革命ではありませんでした。
無知の革命だったのです。
宗教においては、キリスト教でもイスラム教でも、マホメット教でも
この世の重要なことはすでに全部知っているという主張をしていまし
たから、新しい事実に対しては宗教裁判と言われるように多くの抵抗
がありました。ガリレオガリレイの残したと言われる「それでも地球
は回る」という有名な言葉がその一端を示しています。
しかし、実は知らないことがあると知ったことから人類の大躍進が始
まりました。この躍進の結果は一概に人類のためによかったとは言え
ない部分がありますがそれは別にして、今までの病気は治すことがで
き、幼児の死亡率は劇的に減り(中世では生まれた子供の30%は成人
前に死んだ、今日では0.7%)、労働は人から機械に変わっていきま
した。

■■ クレジットの概念 ■■
この500年間に我々の良く知っている近代の数々の科学とテクノロジー
の発明が次から次へと出てきましたが、この発明が長い間袋小路には
まっていた人類の停滞を劇的に変える動機となりました。新しい技術
そのものもそうですが、それと同等くらいにクレジット(信用)の概
念は近代社会を強力に前進させるエンジンとなりました。

歴史の大半を通じて経済の規模はほぼ同じでしたが、まだ存在してい
ない財を特別な種類のお金に変えることに「同意」し、「クレジット
(信用)」と呼ばれる制度を築くことで世界の経済は大きく発展しま
した。
例えば、いま100万円銀行に預けている人がいるとします。銀行はそ
の人に信用貸し100万円を貸し出します。100万円借りた人は25万円
ずつ機械、材料、道具、事務所に投資して新しい事業を始めるとし
ます。この状態は100万円の財が社会には倍の200万円になって経済
を拡大したことを意味します。さらに銀行が信用はもっとあると判
断したときには200万円貸し出すこともあり得ます。
信用という考え方は、私たちの将来の資力が現在の資力とは比べ物
にならないほど豊かになるという想定の上に成り立っています。つ
まり、人類が新しい科学とテクノロジーを発見したことで、未来へ
の期待が「信用」を作り出したのです。もし世界の経済規模(パイ)
の大きさが変わらないのであれば、信用が生まれる余地はありませ
ん。信用とは今日のパイと明日のパイの大きさの差なのです。

ハラリの「サピエンス全史4」 | 平林良人の『つなげるツボ』

—————————————————————
■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.346 ■□■
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** ハラリの「サピエンス全史」 ***
—————————————————————
ハラリは著書「サピエンス全史」の中で、農業革命は人類に思わぬ
罠を仕掛けた。人類はまんまとその罠に落ち、今日の地球資源の食
いつぶしに直面している、との主張を紹介しています。
いまから1万年前に起きた「農業革命」にはいくつかの筋書きがあ
ります。筋書きの一つは、農業革命は我々が思っていたものとは違
うというもので、当時の人々が起こした農業革命は、楽な生活を探
求したものではなかったというものでした(Vol 345)。

■ ギョベクリテペ(2018年世界遺産) ■
トルコのギョベクリテペ遺跡の示唆するところは、農業革命がなぜ
起きたかの理由を示すものであるということです。狩猟採集民族の
人々がなぜそのような大規模な構造物を建設したのか、考古学者は
解明できていないのだそうです。ギョベクリテペの構造物を建設す
るには、異なる生活集団や部族に所属する何千もの人々が長い間そ
の工事に従事しないと完成しないことだけは分っていても、1万
2000年前のことの「なぜ」は解明しようがないのでしょう。多くの
意見は「儀式」のためではないかというものですが、判然としませ
ん。ここからが重要ですが、いままでバラバラにすんでいた人々が
構造物建造のために集まってきた、当然食べるものが足りなくなり
ます。そこに農業革命の端緒が見いだせるという筋書きです。
誰かが小麦の成長を早めるには雑草を取り、日光をより多く浴びせ
ることだと発見したのかもしれません。誰かが水やりを定期的にや
れば小麦はもっと成長する、誰かが動物の排出物を撒けばより大き
くなるということを発見したかもしれません。なにしろ時間はたっ
ぷりある時代のことですから、何十世代にもわたって少しずつ小麦
栽培のノウハウが溜まっていったと考えられます。

■ 農業革命はニーズが先にあった ■
農業革命が起きて定住の生活が世界に広がったのではなく、一つの
ことを成し遂げるために人々が集まり、集まった多くの人々が食べ
られるようになるために農業革命が起きた。すなわち、ニーズが先
にあったというのがこの筋書きのポイントです。でも、なぜそんな
に多くの人が集まったのでしょう。多くといっての数千人から数万
人だと推測されていますが。それが儀式のためだったというのです
が、後で触れる「未来への不安」がそうさせたということかもしれ
ません。
1万2000年前の人口はどのくらいだったのでしょう。当時の地球上
の人口は500万人から800万人だったとみられています。この数は
大阪府の人口(800万人)と同じです。ちなみに、2022年現在この
地球上には78億人を超える人々がいます。
農耕民の大多数は永続的定住地に住んでおり、遊牧民はほんのわず
かでした。定住すると、ほとんどの人々の縄張りは劇的に縮小しまし
た。古代の狩猟採集民はたいてい、何十平方キロメートルから何百平
方キロメートルに及ぶ縄張りに住んでいました。縄張りには、丘もあ
れば小川もあり、森や頭上に広がる大空も含まれていました。一方、
農耕民はほとんどの日々を小さな畑か果樹園で過ごし、家庭生活は間
口も奥行きも数メートル程度の狭い木造、石あるいは泥で出来た「家」
を中心に営まれました。

■ 農業革命のもう一つの筋書き ■
農業革命の他の筋書きは、このような狭い地域に住むことから、自己
中心的な心理状態を育んだというものです。農業民の縄張りは、狩猟
採集民の縄張りよりはるかに狭かっただけでなく、はるかに人工的で
した。狩猟採集民は自分たちが歩き回る土地に意図的な変化をもたら
すことはしませんでしたが、農耕民は周囲の未開地から切り分けた人
工的な「島」に住みました。森林を伐採し、水路を掘り、野を切り開
き、家を建て、鋤で耕し、果樹をきれいに並べました。出来上がった
住処は人間のためだけのものであり、雑草や野生の動物は全力を挙げ
て締め出しました。家の周りには強力な防御の仕組みを作ったり、処
理を施しました。たえず住まいに侵入しようとする野生動物、甲虫、
ゴキブリやハエまでもあらゆる手段で追い出しました。

■ 未来に関する不安 ■
農耕民の空間が縮小する一方で、彼らの時間は拡大しました。狩猟採
集民はたいてい、翌週や翌月のことは考えるにしてもそれほど時間を
かけませんでしたが、農耕民は想像の中で何年も何十年も先まで、楽
々と思いを馳せました。思いを馳せると、そこにあるのは希望ではな
く圧倒的に不安、懸念でした。未来に対する不安、懸念の多くは、食
べられるかというもので、自然に多くある食べ物をあさる狩猟採集民
とは違って、当時はまだ限られた種類の作物しか栽培できなかった農
耕民にとっては、自然災害はとてつもない恐怖でした。
農耕が始まったまさにその時から、未来に対する不安は、人間の心と
いう舞台の常連となりました。
この不安を除くには多くの人のネットワークが必要でした。また、不
安をなくすために出来るだけ多くの余剰食糧を作ることに専念したこ
とも、ネットワークを結び付ける原動力になりました。やがて、小さ
な村落は町に発展し、最終的には都市に密集して暮らすようになりま
した。

ハラリの「サピエンス全史3」 | 平林良人の『つなげるツボ』

—————————————————————
■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.345 ■□■
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** ハラリの「サピエンス全史」 ***
—————————————————————
前回に続きハラリの「サピエンス全史」についてお話をします。
前回は7万年前に起きた「認知革命」の話をしましたが、今回は
1万年前に起きた「農業革命」の話をします。まず確認しておき
たいことは、1万年前のサピエンス(我々の先祖)は、現代人の
我々と全く同じ知力を有していたという事実です。1万年前のこ
とを事実と断定することは危険かもしれませんが、本書を読むと
次から次にと繰り出される古代の物証(人骨、洞窟内の壁画、古
墳内の道具、装飾品など)から、ほぼ事実であると納得をします。

■ 農業革命 ■
農業革命により人類は食べることに困らなくなり、大きく発展へ
の道を踏み出しました。人類は250万年にわたって、動物を狩っ
て、植物を採って食べ物にしてきました。ホモ・サピエンスはア
フリカから中東へ、ヨーロッパ大陸、アジア大陸へと広がり、最
後にはオーストラリア大陸とアメリカ大陸へと拡がりました。サ
ピエンスはどこへ行こうとも野生の動物を狩り、野生の植物を収
集して暮らしていました。他にすることはありませんでした、と
いうのは、空腹を満たすことさえできれば、あとは認知革命で得
た言葉と脳内の空想とで豊かな世界を満喫出来ていたのです。
しかし、1万年前ほどにすべてが変わります。それは何種類かの
動植物の生命を維持することにすべての時間と労力を傾けること
になった時です。
農耕(小麦の栽培など)への移行は、紀元前9,500~8,500年ごろ
にトルコ南東部、イラン西部で始まったとみられています。かっ
て、学者たちは、農耕は中東の単一地域で始まり、世界各地へ広
がったと考えていましたが、今日では世界さまざまの地で完全に
独立した形で発生したという意見で一致しているそうです。
しかしこの革命が人類の運命を大きく変えることになったとハラ
リは主張します。いままで必死になって獲物を探して生きてきた
人類が楽に食べられるようになった結果、人類はどのようになっ
たかを克明に、しかも説得力を持って説明します。

■ 農業革命の功罪 ■
かって学者たちは、農業革命は人類にとって大躍進だと宣言して
いました。進化により、しだいに考えることのできる人・知能の
高い人が生み出され、自然の構造を知るようになり、ヒツジを飼
いならし、小麦を栽培できるようになりました。危険な狩猟民族
であることから定住できる農耕民族へと多くの人が移ったのです
が、実はそこには罠があったと彼は語ります。
それは食料の安定供給のために人類は数を増やすことが出来たが、
増えた人口を養うためにより多くの食料が必要なったという、悪
循環が始まったというのです。
ある種が「存在することに成功した」ということは、DNA二重螺
旋の「複製数がより多くなったことである」と彼は定義していま
すが、多くなりすぎたホモ・サピエンスを待っていたのは実は豊
かな暮らしではなく、より過酷な労働であったと農業革命の罪を
強調しています。

■ 農業革命の基盤に築かれた現代 ■
一度成功すると元には戻れません。すなわち農業革命でDNAの
複製が増加し始めると減少させることが出来ないのがこの世界の
習いであるとハラリは言います。これは現代にもつながっていま
す。多くの若者はがむしゃらに働いてお金を稼ぎ40,50歳になっ
たら人生を楽しむと誓いますが、決してそのようにはなりません。
そのころには子供が生まれ、ローンを抱え、本当は余暇を楽しむ
予定であったのに、死ぬまで働き続けるレールに乗ってしまって
います。
いろいろ便利なものが発明され本当は自由になる時間を楽しめる
はずが、ますます忙しくなるのはどうしてでしょうか。電子メー
ルなどは以前に比べれば格段に効率が良く時間が生み出されるは
ずが、とんでもない、益々時間に追われるようになっているのは
どうしてでしょうか?
贅沢を知ると元に戻れないのはどうしてか、ハラリは重要な教訓
を農業革命に知ると言います。それには、なぜ農業革命が起きた
かの筋書きを知ることが必要であると言います。

■ 農業革命の筋書き ■
筋書きの一つは、農業革命は我々が思っていたものとは違うとい
うものです。当時の人々が起こした農業革命は、楽な生活を探求
したものではなかったというもので、サピエンスは他に強い願望
をいだいており、そのために農業革命が起こったという筋書きで
す。その手掛かりは、1960年頃発見され、2000年前後に詳しく
調査されたトルコのギョベクリテペ(2018年世界遺産)の遺跡
で、多くの7トン程の石柱に見事な彫刻を施した記念碑的建造物
群です。考古学者たちを驚かせたことは、放射性炭素年代測定に
よる調査の結果、地球上で最古の文明だといわれていたメソポタ
ミア文明よりも、7,000年も古い文明の遺跡であることが判明し
たことでした。放射性炭素年代測定は、12,000年前ころには高
度の文明が存在していたことになり、世界の考古学界はこの発見
をにわかには受け入れなかったほどでした。12,000年前当時は、
狩猟採集社会であり、ストーンヘンジ(4,500年前の農耕社会)
と同様な高度文明が狩猟採集社会に既に存在していたということ
になるからです。
しかも、発見されたギョベクリテペ遺跡のトルコ南部は、世界で
最初であろうといわれる「小麦栽培の地」と数十キロしか離れて
いないのです。