ハラリの「サピエンス全史3」 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.345 ■□■
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*** ハラリの「サピエンス全史」 ***
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前回に続きハラリの「サピエンス全史」についてお話をします。
前回は7万年前に起きた「認知革命」の話をしましたが、今回は
1万年前に起きた「農業革命」の話をします。まず確認しておき
たいことは、1万年前のサピエンス(我々の先祖)は、現代人の
我々と全く同じ知力を有していたという事実です。1万年前のこ
とを事実と断定することは危険かもしれませんが、本書を読むと
次から次にと繰り出される古代の物証(人骨、洞窟内の壁画、古
墳内の道具、装飾品など)から、ほぼ事実であると納得をします。

■ 農業革命 ■
農業革命により人類は食べることに困らなくなり、大きく発展へ
の道を踏み出しました。人類は250万年にわたって、動物を狩っ
て、植物を採って食べ物にしてきました。ホモ・サピエンスはア
フリカから中東へ、ヨーロッパ大陸、アジア大陸へと広がり、最
後にはオーストラリア大陸とアメリカ大陸へと拡がりました。サ
ピエンスはどこへ行こうとも野生の動物を狩り、野生の植物を収
集して暮らしていました。他にすることはありませんでした、と
いうのは、空腹を満たすことさえできれば、あとは認知革命で得
た言葉と脳内の空想とで豊かな世界を満喫出来ていたのです。
しかし、1万年前ほどにすべてが変わります。それは何種類かの
動植物の生命を維持することにすべての時間と労力を傾けること
になった時です。
農耕(小麦の栽培など)への移行は、紀元前9,500~8,500年ごろ
にトルコ南東部、イラン西部で始まったとみられています。かっ
て、学者たちは、農耕は中東の単一地域で始まり、世界各地へ広
がったと考えていましたが、今日では世界さまざまの地で完全に
独立した形で発生したという意見で一致しているそうです。
しかしこの革命が人類の運命を大きく変えることになったとハラ
リは主張します。いままで必死になって獲物を探して生きてきた
人類が楽に食べられるようになった結果、人類はどのようになっ
たかを克明に、しかも説得力を持って説明します。

■ 農業革命の功罪 ■
かって学者たちは、農業革命は人類にとって大躍進だと宣言して
いました。進化により、しだいに考えることのできる人・知能の
高い人が生み出され、自然の構造を知るようになり、ヒツジを飼
いならし、小麦を栽培できるようになりました。危険な狩猟民族
であることから定住できる農耕民族へと多くの人が移ったのです
が、実はそこには罠があったと彼は語ります。
それは食料の安定供給のために人類は数を増やすことが出来たが、
増えた人口を養うためにより多くの食料が必要なったという、悪
循環が始まったというのです。
ある種が「存在することに成功した」ということは、DNA二重螺
旋の「複製数がより多くなったことである」と彼は定義していま
すが、多くなりすぎたホモ・サピエンスを待っていたのは実は豊
かな暮らしではなく、より過酷な労働であったと農業革命の罪を
強調しています。

■ 農業革命の基盤に築かれた現代 ■
一度成功すると元には戻れません。すなわち農業革命でDNAの
複製が増加し始めると減少させることが出来ないのがこの世界の
習いであるとハラリは言います。これは現代にもつながっていま
す。多くの若者はがむしゃらに働いてお金を稼ぎ40,50歳になっ
たら人生を楽しむと誓いますが、決してそのようにはなりません。
そのころには子供が生まれ、ローンを抱え、本当は余暇を楽しむ
予定であったのに、死ぬまで働き続けるレールに乗ってしまって
います。
いろいろ便利なものが発明され本当は自由になる時間を楽しめる
はずが、ますます忙しくなるのはどうしてでしょうか。電子メー
ルなどは以前に比べれば格段に効率が良く時間が生み出されるは
ずが、とんでもない、益々時間に追われるようになっているのは
どうしてでしょうか?
贅沢を知ると元に戻れないのはどうしてか、ハラリは重要な教訓
を農業革命に知ると言います。それには、なぜ農業革命が起きた
かの筋書きを知ることが必要であると言います。

■ 農業革命の筋書き ■
筋書きの一つは、農業革命は我々が思っていたものとは違うとい
うものです。当時の人々が起こした農業革命は、楽な生活を探求
したものではなかったというもので、サピエンスは他に強い願望
をいだいており、そのために農業革命が起こったという筋書きで
す。その手掛かりは、1960年頃発見され、2000年前後に詳しく
調査されたトルコのギョベクリテペ(2018年世界遺産)の遺跡
で、多くの7トン程の石柱に見事な彫刻を施した記念碑的建造物
群です。考古学者たちを驚かせたことは、放射性炭素年代測定に
よる調査の結果、地球上で最古の文明だといわれていたメソポタ
ミア文明よりも、7,000年も古い文明の遺跡であることが判明し
たことでした。放射性炭素年代測定は、12,000年前ころには高
度の文明が存在していたことになり、世界の考古学界はこの発見
をにわかには受け入れなかったほどでした。12,000年前当時は、
狩猟採集社会であり、ストーンヘンジ(4,500年前の農耕社会)
と同様な高度文明が狩猟採集社会に既に存在していたということ
になるからです。
しかも、発見されたギョベクリテペ遺跡のトルコ南部は、世界で
最初であろうといわれる「小麦栽培の地」と数十キロしか離れて
いないのです。