Category Archives: つなげるツボ

ハラリの「サピエンス全史5」 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.347 ■□■
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** ハラリの「サピエンス全史」 ***
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ハラリは、人類10万年の歴史の特異点(シンギュラリティ)に認知
革命、農業革命、科学革命の3つを上げています。認知革命は7万年
前、農業革命は1万年前に起こりました。最後の「科学革命」はわず
か500年前に起きたとしています。
しかし、今日2022年までの間に、人類は大変な発展をしました。
1500年には、全世界にホモ・サピエンスはおよそ5億人いましたが、
今日その数は78億人に達しています。当時の1年に生み出された財
とサービスの総価値は、今日のお金に換算して約2,500億ドル(25兆
円)と推定されますが、2022年は約60兆ドル(6,000兆円)と240
倍になっています。1500年には、1日に人類はおよそ13兆カロリー
のエネルギーを使っていましたが、今日は115倍の1500兆カロリー
のエネルギーを消費しています。

■■ 世界地図 ■■
中世の宗教も哲学も自分たちは神から使わされた使徒であり、絶対的
な存在でこの世で知らないものはないと信じていました。当時の多く
の人々は、天上の神の存在をお互いが信じているというだけで、知ら
ない人間同士がネットワークを作り互いに協力し合うことが出来まし
た。この神話がたとえ虚構であり、架空な話であっても、信じてしま
えば実際にあるものとして人類を結び付けることとなり、その功績は
大きなものであったと言えます。しかし、神から使わされた自分達に
は知らないものはないという信念は人類の発展を妨げていました。

当時の世界地図には自分たちの領土以外、ぎっしりといろいろな大陸、
島が描かれていました。しかし、それらはコロンブスが1492年にア
メリカ大陸を発見した途端に嘘だと証明されてしまいました。
16世紀には地球を1周した人間が出てきました。1522年マゼランの
遠征艦隊が7万2千キロメートルの旅を終えてスペインに帰り着いた
とき、歴史が変わりました。

その後も含めての大航海の結果から、15世紀から16世紀にかけて、
ヨーロッパ人は空白の地図を作るようになりました。これは大きな転
換で、人類は今まですべてのことを知っていると思っていたことを止
めて、知らないことははっきりさせよう、知らないことが多くあるの
だということを認めたのです。

■■ 無知な人 ■■
人類は認知革命以降、森羅万象を理解しようと膨大な時間と労力を注
ぎ込んで自然界を支配する法則を発見しようとしてきました。
しかし、大航海の時代を迎えて、人類には知らないことがあるという
概念が広がりました。科学革命は知識の革命ではありませんでした。
無知の革命だったのです。
宗教においては、キリスト教でもイスラム教でも、マホメット教でも
この世の重要なことはすでに全部知っているという主張をしていまし
たから、新しい事実に対しては宗教裁判と言われるように多くの抵抗
がありました。ガリレオガリレイの残したと言われる「それでも地球
は回る」という有名な言葉がその一端を示しています。
しかし、実は知らないことがあると知ったことから人類の大躍進が始
まりました。この躍進の結果は一概に人類のためによかったとは言え
ない部分がありますがそれは別にして、今までの病気は治すことがで
き、幼児の死亡率は劇的に減り(中世では生まれた子供の30%は成人
前に死んだ、今日では0.7%)、労働は人から機械に変わっていきま
した。

■■ クレジットの概念 ■■
この500年間に我々の良く知っている近代の数々の科学とテクノロジー
の発明が次から次へと出てきましたが、この発明が長い間袋小路には
まっていた人類の停滞を劇的に変える動機となりました。新しい技術
そのものもそうですが、それと同等くらいにクレジット(信用)の概
念は近代社会を強力に前進させるエンジンとなりました。

歴史の大半を通じて経済の規模はほぼ同じでしたが、まだ存在してい
ない財を特別な種類のお金に変えることに「同意」し、「クレジット
(信用)」と呼ばれる制度を築くことで世界の経済は大きく発展しま
した。
例えば、いま100万円銀行に預けている人がいるとします。銀行はそ
の人に信用貸し100万円を貸し出します。100万円借りた人は25万円
ずつ機械、材料、道具、事務所に投資して新しい事業を始めるとし
ます。この状態は100万円の財が社会には倍の200万円になって経済
を拡大したことを意味します。さらに銀行が信用はもっとあると判
断したときには200万円貸し出すこともあり得ます。
信用という考え方は、私たちの将来の資力が現在の資力とは比べ物
にならないほど豊かになるという想定の上に成り立っています。つ
まり、人類が新しい科学とテクノロジーを発見したことで、未来へ
の期待が「信用」を作り出したのです。もし世界の経済規模(パイ)
の大きさが変わらないのであれば、信用が生まれる余地はありませ
ん。信用とは今日のパイと明日のパイの大きさの差なのです。

ハラリの「サピエンス全史4」 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.346 ■□■
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** ハラリの「サピエンス全史」 ***
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ハラリは著書「サピエンス全史」の中で、農業革命は人類に思わぬ
罠を仕掛けた。人類はまんまとその罠に落ち、今日の地球資源の食
いつぶしに直面している、との主張を紹介しています。
いまから1万年前に起きた「農業革命」にはいくつかの筋書きがあ
ります。筋書きの一つは、農業革命は我々が思っていたものとは違
うというもので、当時の人々が起こした農業革命は、楽な生活を探
求したものではなかったというものでした(Vol 345)。

■ ギョベクリテペ(2018年世界遺産) ■
トルコのギョベクリテペ遺跡の示唆するところは、農業革命がなぜ
起きたかの理由を示すものであるということです。狩猟採集民族の
人々がなぜそのような大規模な構造物を建設したのか、考古学者は
解明できていないのだそうです。ギョベクリテペの構造物を建設す
るには、異なる生活集団や部族に所属する何千もの人々が長い間そ
の工事に従事しないと完成しないことだけは分っていても、1万
2000年前のことの「なぜ」は解明しようがないのでしょう。多くの
意見は「儀式」のためではないかというものですが、判然としませ
ん。ここからが重要ですが、いままでバラバラにすんでいた人々が
構造物建造のために集まってきた、当然食べるものが足りなくなり
ます。そこに農業革命の端緒が見いだせるという筋書きです。
誰かが小麦の成長を早めるには雑草を取り、日光をより多く浴びせ
ることだと発見したのかもしれません。誰かが水やりを定期的にや
れば小麦はもっと成長する、誰かが動物の排出物を撒けばより大き
くなるということを発見したかもしれません。なにしろ時間はたっ
ぷりある時代のことですから、何十世代にもわたって少しずつ小麦
栽培のノウハウが溜まっていったと考えられます。

■ 農業革命はニーズが先にあった ■
農業革命が起きて定住の生活が世界に広がったのではなく、一つの
ことを成し遂げるために人々が集まり、集まった多くの人々が食べ
られるようになるために農業革命が起きた。すなわち、ニーズが先
にあったというのがこの筋書きのポイントです。でも、なぜそんな
に多くの人が集まったのでしょう。多くといっての数千人から数万
人だと推測されていますが。それが儀式のためだったというのです
が、後で触れる「未来への不安」がそうさせたということかもしれ
ません。
1万2000年前の人口はどのくらいだったのでしょう。当時の地球上
の人口は500万人から800万人だったとみられています。この数は
大阪府の人口(800万人)と同じです。ちなみに、2022年現在この
地球上には78億人を超える人々がいます。
農耕民の大多数は永続的定住地に住んでおり、遊牧民はほんのわず
かでした。定住すると、ほとんどの人々の縄張りは劇的に縮小しまし
た。古代の狩猟採集民はたいてい、何十平方キロメートルから何百平
方キロメートルに及ぶ縄張りに住んでいました。縄張りには、丘もあ
れば小川もあり、森や頭上に広がる大空も含まれていました。一方、
農耕民はほとんどの日々を小さな畑か果樹園で過ごし、家庭生活は間
口も奥行きも数メートル程度の狭い木造、石あるいは泥で出来た「家」
を中心に営まれました。

■ 農業革命のもう一つの筋書き ■
農業革命の他の筋書きは、このような狭い地域に住むことから、自己
中心的な心理状態を育んだというものです。農業民の縄張りは、狩猟
採集民の縄張りよりはるかに狭かっただけでなく、はるかに人工的で
した。狩猟採集民は自分たちが歩き回る土地に意図的な変化をもたら
すことはしませんでしたが、農耕民は周囲の未開地から切り分けた人
工的な「島」に住みました。森林を伐採し、水路を掘り、野を切り開
き、家を建て、鋤で耕し、果樹をきれいに並べました。出来上がった
住処は人間のためだけのものであり、雑草や野生の動物は全力を挙げ
て締め出しました。家の周りには強力な防御の仕組みを作ったり、処
理を施しました。たえず住まいに侵入しようとする野生動物、甲虫、
ゴキブリやハエまでもあらゆる手段で追い出しました。

■ 未来に関する不安 ■
農耕民の空間が縮小する一方で、彼らの時間は拡大しました。狩猟採
集民はたいてい、翌週や翌月のことは考えるにしてもそれほど時間を
かけませんでしたが、農耕民は想像の中で何年も何十年も先まで、楽
々と思いを馳せました。思いを馳せると、そこにあるのは希望ではな
く圧倒的に不安、懸念でした。未来に対する不安、懸念の多くは、食
べられるかというもので、自然に多くある食べ物をあさる狩猟採集民
とは違って、当時はまだ限られた種類の作物しか栽培できなかった農
耕民にとっては、自然災害はとてつもない恐怖でした。
農耕が始まったまさにその時から、未来に対する不安は、人間の心と
いう舞台の常連となりました。
この不安を除くには多くの人のネットワークが必要でした。また、不
安をなくすために出来るだけ多くの余剰食糧を作ることに専念したこ
とも、ネットワークを結び付ける原動力になりました。やがて、小さ
な村落は町に発展し、最終的には都市に密集して暮らすようになりま
した。

ハラリの「サピエンス全史3」 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.345 ■□■
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** ハラリの「サピエンス全史」 ***
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前回に続きハラリの「サピエンス全史」についてお話をします。
前回は7万年前に起きた「認知革命」の話をしましたが、今回は
1万年前に起きた「農業革命」の話をします。まず確認しておき
たいことは、1万年前のサピエンス(我々の先祖)は、現代人の
我々と全く同じ知力を有していたという事実です。1万年前のこ
とを事実と断定することは危険かもしれませんが、本書を読むと
次から次にと繰り出される古代の物証(人骨、洞窟内の壁画、古
墳内の道具、装飾品など)から、ほぼ事実であると納得をします。

■ 農業革命 ■
農業革命により人類は食べることに困らなくなり、大きく発展へ
の道を踏み出しました。人類は250万年にわたって、動物を狩っ
て、植物を採って食べ物にしてきました。ホモ・サピエンスはア
フリカから中東へ、ヨーロッパ大陸、アジア大陸へと広がり、最
後にはオーストラリア大陸とアメリカ大陸へと拡がりました。サ
ピエンスはどこへ行こうとも野生の動物を狩り、野生の植物を収
集して暮らしていました。他にすることはありませんでした、と
いうのは、空腹を満たすことさえできれば、あとは認知革命で得
た言葉と脳内の空想とで豊かな世界を満喫出来ていたのです。
しかし、1万年前ほどにすべてが変わります。それは何種類かの
動植物の生命を維持することにすべての時間と労力を傾けること
になった時です。
農耕(小麦の栽培など)への移行は、紀元前9,500~8,500年ごろ
にトルコ南東部、イラン西部で始まったとみられています。かっ
て、学者たちは、農耕は中東の単一地域で始まり、世界各地へ広
がったと考えていましたが、今日では世界さまざまの地で完全に
独立した形で発生したという意見で一致しているそうです。
しかしこの革命が人類の運命を大きく変えることになったとハラ
リは主張します。いままで必死になって獲物を探して生きてきた
人類が楽に食べられるようになった結果、人類はどのようになっ
たかを克明に、しかも説得力を持って説明します。

■ 農業革命の功罪 ■
かって学者たちは、農業革命は人類にとって大躍進だと宣言して
いました。進化により、しだいに考えることのできる人・知能の
高い人が生み出され、自然の構造を知るようになり、ヒツジを飼
いならし、小麦を栽培できるようになりました。危険な狩猟民族
であることから定住できる農耕民族へと多くの人が移ったのです
が、実はそこには罠があったと彼は語ります。
それは食料の安定供給のために人類は数を増やすことが出来たが、
増えた人口を養うためにより多くの食料が必要なったという、悪
循環が始まったというのです。
ある種が「存在することに成功した」ということは、DNA二重螺
旋の「複製数がより多くなったことである」と彼は定義していま
すが、多くなりすぎたホモ・サピエンスを待っていたのは実は豊
かな暮らしではなく、より過酷な労働であったと農業革命の罪を
強調しています。

■ 農業革命の基盤に築かれた現代 ■
一度成功すると元には戻れません。すなわち農業革命でDNAの
複製が増加し始めると減少させることが出来ないのがこの世界の
習いであるとハラリは言います。これは現代にもつながっていま
す。多くの若者はがむしゃらに働いてお金を稼ぎ40,50歳になっ
たら人生を楽しむと誓いますが、決してそのようにはなりません。
そのころには子供が生まれ、ローンを抱え、本当は余暇を楽しむ
予定であったのに、死ぬまで働き続けるレールに乗ってしまって
います。
いろいろ便利なものが発明され本当は自由になる時間を楽しめる
はずが、ますます忙しくなるのはどうしてでしょうか。電子メー
ルなどは以前に比べれば格段に効率が良く時間が生み出されるは
ずが、とんでもない、益々時間に追われるようになっているのは
どうしてでしょうか?
贅沢を知ると元に戻れないのはどうしてか、ハラリは重要な教訓
を農業革命に知ると言います。それには、なぜ農業革命が起きた
かの筋書きを知ることが必要であると言います。

■ 農業革命の筋書き ■
筋書きの一つは、農業革命は我々が思っていたものとは違うとい
うものです。当時の人々が起こした農業革命は、楽な生活を探求
したものではなかったというもので、サピエンスは他に強い願望
をいだいており、そのために農業革命が起こったという筋書きで
す。その手掛かりは、1960年頃発見され、2000年前後に詳しく
調査されたトルコのギョベクリテペ(2018年世界遺産)の遺跡
で、多くの7トン程の石柱に見事な彫刻を施した記念碑的建造物
群です。考古学者たちを驚かせたことは、放射性炭素年代測定に
よる調査の結果、地球上で最古の文明だといわれていたメソポタ
ミア文明よりも、7,000年も古い文明の遺跡であることが判明し
たことでした。放射性炭素年代測定は、12,000年前ころには高
度の文明が存在していたことになり、世界の考古学界はこの発見
をにわかには受け入れなかったほどでした。12,000年前当時は、
狩猟採集社会であり、ストーンヘンジ(4,500年前の農耕社会)
と同様な高度文明が狩猟採集社会に既に存在していたということ
になるからです。
しかも、発見されたギョベクリテペ遺跡のトルコ南部は、世界で
最初であろうといわれる「小麦栽培の地」と数十キロしか離れて
いないのです。

ハラリの「サピエンス全史2」 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.344 ■□■
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*** ハラリの「サピエンス全史」 ***
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前回に続きハラリの「サピエンス全史」について感想を記したい
と思います。まず認識を新たにしたのは3万年前頃のサピエンス
は現代人と同じ知能を持っていたという説明についてです。200
万年前頃に類人猿の一種類にDNAの突然変異が起き、その人種
がホモサピエンスの先祖であるという。そこから100万年単位で
ホモサピエンスは徐々に進化をしていき、10万年前頃までには他
の類人猿とは比較にならない高い知能(そうはいっても現代人に
は劣る)を持つようになったという。しかし、約7万年前に認知
革命が起きると、数万年をかけて、3万年前頃にはサピエンスは
現代人と同じ知能を有するようになったということです。

■ 認知革命 ■
認知革命とは、生きている今の世界から離れて、虚構の世界を空
想するようになった革命(大きく変化した)のことだそうです。
この空想は言葉により語られる(いろいろな神の物語)ようにな
り、数万年かけて徐々に今の我々と同じ脳を持つようになったと
いうことです。
なぜ認知革命が起きたのかについては、またもや突然変異が起き
たという説明です。7万年前頃、サピエンスの脳内のDNAの配
線が偶然大きく変わったが、ホモサピエンスの他の人種、例えば
ホモエレクトスにはそのような突然変異は起きなかったというこ
とです。
この説明は、現在多くの研究者が同意しているものだということ
です。3万年前のサピエンスが我々と同じ知能(記憶力、想像力、
理解力など)を有していたとは俄かに信じがたいのですが、それ
を説明する客観的な古代遺物がいろいろ発見されているのです。
ただ、私には200万年前の突然変異、7万年前の脳内配線の変化
(突然変異)というところが理解しがたいのですが、昨今の新型
ウイルスのことと重ね合わせると真実味が増します。

■ 古代遺跡文化 ■
サピエンスが3万年前頃には現代人と同じ知能を有していたとす
ると、いろいろな古代遺跡がなぜ作れたかの説明が付くように思
います。エジプトのピラミッド、イギリスストーンヘンジの巨石、
イースター島にあるモアイ像などの古代遺物は作られた年代も様
々ですが、重機の無かった数千年前にどのようにして作ったのか
実に不思議です。巨大なピラミッドの作り方はいろいろ研究がさ
れほぼ解明されていると言っていいと思いますが、他の巨石遺物
についてはいまだにどのように切り出したのか、運んだのか、作
ったのか不明なものがたくさんあります。
しかし、その頃の人が我々と同じ知能を有していたと知ると、宇
宙人説などは吹っ飛び、合理的な理解への突破口が開かれた思い
がします。

■ 10,000年は何世代 ■
1世代を30年とすると、1万年は333世代が紡いできた歴史とい
うことになります。自分から数えて333もの先祖の存在は気の遠
くなるような話ですが、その間にDNAのコピーが一部欠損したり、
変わったりするということはなんとなくわかるような気がします
(それらの大きなものが突然変異?)。
私の家には家系図なるものが菩提寺にありますが、江戸時代から
の系統しか記されていません。しかも、住職によると明治時代に
は家系図を売る商売があって、普通の家柄(平林家)の家系図の
多くはもしかすると家系図屋から買ったものかもしれない、とか
つて聞かされました。
我が家の家系図には10代(300年)しか書かれていません。多
分日本で一番信頼が置ける家系図である天皇家でも70世代
(2100年)位しか明確になっていないのではないでしょうか。
誰が(天皇家を超える5倍近くもの)先祖333世代の姿、形を想
像できるのでしょうか?

■ 農業革命 ■
農業革命は1万2000年前に起きたそうですが、これにより植物
の栽培化と動物の家畜化がすすみ、人々は永続的に定住するよう
になりました。しかし、この永続的定住がその後の人類に必ずし
も明るい未来を創ることにならなかった、という物語は次回お話
ししたいと思います。

ハラリの「サピエンス全史1」 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.343 ■□■
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*** 新刊書3冊 ***
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令和4年の正月はコロナウイルスも小康状態になったと思いまし
たが、また第6波の渦中に引き込まれそうです。現在はデルタ株
に続くオミクロン株が猛威を振るいつつあり、安心はできません
が、長い人類の歴史を振り返ると人類はこのくらいの出来事はこ
とごとくやり過ごしてきたということが理解できます。というの
は、正月に読んだ3冊の新刊書の中の一冊(上下巻合わせて2冊)
にそのようなことが分かり易く書かれていたからです。その本は
ユバル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」です。
正月には、その他にブライアン・グリーン著「時間の終わりまで
・・物質、生命、心と進化する宇宙」、ローレンス・クラウス
「宇宙が始まる前には何があったのか」、また読み返した本に
ジェレシー・リフキン「エントロピーの法則」、その他AI関係
の本を乱読しました。

■ 「サピエンス全史」■
昨年、上下巻の本書は世界で500万というベストセラーになりま
した。宇宙が出来て135億年、地球が出来て45億年、人類の先
祖がアフリカに現れたのが250万年前、今の我々と変わらないホ
モ・サピエンスが現れたのが20万年前、体力・頭脳が現代人と
変わらないほどにサピエンスが進化したのが7万年前である、と
いう時間の流れに沿って人類の進化を説明する壮大な歴史物語が
本書の全体像です。1万3千年前にはホモ・サピエンスが唯一生
き残っている人類種となりました。サピエンスが多くの他の人種、
例えばネアンデルタール人、ホモ・デニソワ人、ホモ・エレクト
ス人などの人類種の中から生き残ったのはなぜか、をハラリは多
くの客観的な事象から明快に説明しています。ここでいう客観的
な事象とは洞窟に残された人骨、壁に刻まれた絵、考古学者の研
究などですが、著者の溢れんばかりの博学には大変驚かされます。

■ 3つの革命 ■
人類は3つの革命を経て現代の状況を築くまでになったと説明し、
その功罪を鋭く分析しています。
3つの革命とは、認知革命、農業革命、そして科学革命です、認
知革命は7万年前に起き数万年の間に緩やかに人類種を他の動物
を凌駕する存在へと押し上げていった革命です。認知革命は言語
を発達させ、今我々が知る歴史的現象の多くを引き起こします。
農業革命は1万2000年前に起きました。これにより植物の栽培
化と動物の家畜化がすすみ、人々は永続的に定住するようになり
ました。
科学革命は500年前に起きました。いままでの革命が10,000年
単位で行われたのに対して、科学革命は数100年の短い時間の中
で起きました。その中には200年前に起きた産業革命も含まれま
す。
2022年の今日、サピエンス全史を読んでいると、1600年代はち
ょっと手を伸ばせば触れるような近さにあることを実感させられ
ます。地球の全体史45億年、人類種の歴史250万年からみると
産業革命以降の200年は極めて短い特異な時代であると改めて思
います。
昔の物語だと思っていた、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の世界
もこの特異な時代である科学革命500年の中にあるということで
す。
時間の長さを実感するために、地球誕生45億年が1日24時間で
あるとすると、2022年の今日は23時59分59秒過ぎの1000万
分の1という気の遠くなるほんの瞬間に位置付けられ、我々はそ
の一瞬の時間の中に生きているということになります。

■ 認知革命 ■
8万年前、すなわち認知革命が始まる前のサピエンスは外見から
は今日の私たちとそっくりで、脳の大きさも同じくらいであった
が、脳の構造は私たちとは比べ物にならない低いものであったと
いう。それが7万年前から3万年前にかけてホモ・サピエンスは
非常に特殊なことを始めました。その結果、多くの研究者が賛同
しているように、ネアンデルタール人を絶滅させ、オーストラリ
ア大陸に移り住み、シュターデル洞窟に象牙彫「ライオン人間」
を残すほどになったといいます。その当時の人々は私たちと同じ
くらい高い知能を持ち、創造的で、繊細であったと研究者たちは
言い切ります。もしシュターデル洞窟の芸術家たちに出会ったと
したら、私たちは彼らの言語を習得することができ、彼らも私た
ちの言語を習得することが出来るであろう、とまで説明していま
す。

■ 非常に特殊なこと ■
ここで非常に特殊なこととは何か、気になるところですが、それ
は「新しい思考と意思疎通の方法の登場」のことであると説明し
ます。
最も多くの説は、本当かどうか定かではないと断りながら、たま
たま遺伝子の突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わ
り、それまでにない形で考えたり、全く新しい言語を使って意思
疎通したりすることが可能になったのだといいます。それがなぜ
ネアンデルタール人ではなくサピエンスのDNAに起こったのか?
研究者の多くはまったくの偶然であったと説明しています。どん
な動物も何かしらの言語を持っていますが、サピエンスの言語
(基本的な言語;英語もヒンディー語も中国語もその他の言語も
サピエンス言語の一変種)は驚くほど柔軟であったといいます。
また私たちの言語は噂話のために発達したという説も多くの支持
を得ているといいます。私たちにとって社会的な協力は、生存と
繁殖のカギを握っています。自分の集団の中で、誰が誰を憎んで
いるか、誰を愛しているか、誰が正直か、誰がずる賢いかなどの
ためにほかの動物には見られない言語の発達があったのが認知革
命のコアであるといいます。