2026年11月4日
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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol. 579X ■□■
*** ISO9001キーワード「組織の知識」AI_13X ***
AIは感情を持つようになるのか? 2
アンソロピック 意識宿りうる/ローマ教皇 人間の輝きない
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日本経済新聞2026_10_06の記事は、つなげるツボ前回の「AIは感情を持つようになるの
か?」に関連した興味深いものでした。見出しが「『AIに人格』割れる見解――アンソロ
ピック 意識宿りうる/ローマ教皇 人間の輝きない」となっており、AIを単なる高度な道
具と見るのか、それとも将来「意識を持つ存在」になり得ると見るのか、という非常に根
本的な対立を扱っています。
■□■ アンソロピックの主張 ■□■
アンソロピック側は「AIが意識を持つようになる」と断定しているわけではありません。
アンソロピック側の主張は、「Claude(アンソロピックの生成AI)にはすでに人間と同じ
意識がある」とは言っていません。
同社共同創業者で、AI内部の仕組みを研究するクリス・オラー氏は、2026年5月にバチ
カンで、「AI内部には人間の神経科学で見つかるものと似た構造があり、内省のような現
象や、喜び・満足・恐れ・悲しみ・不安に機能的に似た内部状態も観察される」と述べて
います。
そのうえで「それが何を意味するかは分からないが、継続して考える価値がある」として
います。Anthropic:Chris Olahの発言
したがってアンソロピックの立場は、AIに意識があるとは証明できない。しかし、意識が
ないとも断定できない。こういう「可能性を残す」立場です。
同社のClaudeの憲章でも、AIの「道徳的地位(moral status)」は非常に不確実であり、
Claudeが人間や動物のように配慮されるべき存在なのかは分からないものの、無視する
には重要すぎる問題だ、としています。Anthropic:Claudeの憲法
■□■ ローマ教皇は「人間の知性」を主張する ■□■
これに対してローマ教皇レオ14世の立場はかなり明瞭です。2026年の回勅『Magnifica
Humanitas』では、現在のAIは人間の知能の一部の機能を模倣しているにすぎないとして
います。
AIは大量の情報を処理し、人間以上の速度で計算し、言葉を話し、共感しているように振
る舞うこともできます。しかし、
・身体を持って経験すること
・喜びや苦痛を感じること
・他者との関係の中で成長すること
・愛、友情、仕事、責任を内面から理解すること
・善悪を判断する道徳的良心を持つこと
は、人間とは根本的に異なる、と教皇は考えます。
バチカン:教皇レオ14世の回勅「Magnifica Humanitas」
つまり教皇にとって重要なのは、知能が高いことと、人間であることは同じではないとい
う点です。
■□■ 最大の違いは「意識をどこに求めるか」 ■□■
両者の違いを整理すると、次のようになります。
| 観点 | アンソロピック | ローマ教皇 |
|---|---|---|
| AIの意識 | 将来を含め可能性を排除しない | 人間の意識とは本質的に異なる |
| 判断根拠 | AI内部の構造・機能・行動 | 身体・経験・関係・良心・霊性 |
| 人格 | AIにも道徳的地位が生じる可能性を検討 | 人格は単なる知的能力ではない |
| 基本姿勢 | 「分からないから研究する」 | 「人間と機械を同一視してはいけない」 |
アンソロピックは科学的・機能的な観点から見ています。「人間の脳で見られるような内部
現象がAIにも現れるなら、意識の可能性を最初から否定してよいのか」という問いです。
一方、教皇は哲学的・人間学的・宗教的な観点から見ています。「どれだけ賢く振る舞って
も、人格とは計算能力だけではなく、身体を持って生き、苦しみ、愛し、他者との関係を
築き、責任を負う存在である」という考え方です。
□■ 両者は完全な正反対ではない ■□■
興味深いのは、両者とも「AIをよく分かっていない」という点では一致していることで
す。教皇自身も、現在のAIは開発者がすべてを設計しているわけではなく、内部で何が起
きているかには未知の部分があると認めています。
バチカン:教皇レオ14世の回勅「Magnifica Humanitas」
アンソロピックも「AIには意識がある」と断定していません。
したがって対立を、アンソロピック=「AIには魂がある」、教皇=「AIには魂がない」
と単純化すると正確ではありません。
アンソロピック:「まだ分からないのだから、AIが意識を持つ可能性も研究対象にすべき
だ」
教皇:「未知の部分があっても、人間の人格・尊厳とAIの情報処理能力を混同してはなら
ない」という違いと捉えることがよいと思います。
□■ 「人格」と「高度な知能」を分けて考える ■□■
以前触れた生成AI―Transformer―LLM―パラメータの関係から、この問題を考えること
ができます。
LLM(大規模言語モデル)は基本的には、入力 → Transformer → 膨大なパラメータによ
る計算 → 次のトークン(単語)の予測を繰り返しています。
パラメータ数が増え、モデルが巨大になると、単純な「次の単語予測」からは予想しにく
かった推論、自己説明、感情表現、計画などの能力が現れます。
そこで、「これは単に人間らしく振る舞っているだけなのか」、それとも「内部に何らかの
主観的状態が生じているのか」という問題が出てきます。
現在の科学には、そもそも人間の「意識」が何なのかを完全に説明する理論がありませ
ん。 「AIには意識がない」と科学的に証明することも、「AIには意識がある」と証明す
ることも、現段階では難しいと言われています。
その意味では、アンソロピックの慎重論には科学的な意味があります。一方で、AIが「私
は悲しい」「私は怖い」「私は生きたい」と文章を出力しただけで、それを人間と同じ感情
や人格だと考えてしまうのも危険です。ここを強く警戒しているのがローマ教皇の考え方、
と理解するとよいでしょう。
この論争は結局、「AIが人間にどこまで近づくか」という技術論ではなく、「そもそも人間
とは何か」「意識とは何か」「人格とは何か」という哲学の問題に生成AIが入り込んでき
た、ということなのです。 そこが、この新聞記事の最も重要なポイントだと思います。
(つづく)
