トヨタ物語10 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.396 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** トヨタ物語10 ***
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この「トヨタ物語」を連載中に奇しくも豊田章一郎氏(元トヨタ
社長)がお亡くなりになったとのニュースが飛び込んできました。
ご冥福をお祈りいたします。
トヨタ創業期の話と近年の品質不祥事の話には大きなギャップが
ありますが、この違いはどこから来るのか、考えさせられます。
下記の記述は1970年頃に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)
の講演記録からです。

■■ 大野が見るフォード1世 ■■
大野氏がトヨタ生産方式で追求したのは、ムダの排除でした。
ムダは無限にあり、ムダを排除すればコストダウンが可能である
と考え、ムダを排除していくことで、利益は無限に拡大できると
考えました。この考えはフォード1世を評価するうえにもよく表
れています。以下は大野氏の記述です。

フォード1世の評伝を読むと、ヘンリー・フォード1世は大量生
産方式の父ではなく、スポンサーであると、若干揶揄したところ
もみられるが、それでも私はフォード1世の偉大さには敬服する。
私は、もしもアメリカの自動車王のヘンリー・フォード1世がい
ま生きていたら、私どもが取り組んできたトヨタ生産方式と同じ
ことをやったに違いないと思う。
その理由は、ヘンリー・フォード1世の著作を読むたびに痛感す
るのだが、彼は生来の合理主義者というか、アメリカ社会におけ
る工業のあり方について、非常に冷静で科学的な考え方をもって
いたことである。たとえば「標準化」という問題にしても、企業
における「ムダ」の何たるかを論じるにしても、フォード1世の
ものの見方は、オーソドックスであり、普遍性をもっている。

■■ フォード1世の考えたムダ ■■
フォード1世の著作から、工業についての考え方の基本つまり哲
学を示した個所を引用してみる。「ムダから学ぶ」というテーマ
である。

(以下はフォード1世の記述)もし人が何も使わないとしたら、
ムダは生じないであろう。この道理は、あまにも明らかなように
思われる。しかしこのことを、別の角度から考えてみるとどうで
あろうか。もしわれわれが何1つ使わないとしたら、すべてがム
ダではないのか。公共的資源の利用をまったく取りやめることは、
保存なのか、それともムダなのか。ある人が、自らの老後に備え
て、かれの人生の最もよき時代を倹約一筋に生きることは、かれ
の財産を保護することになるのか、それとも財産をムダにするこ
とになるのか。かれは建設的な倹約家であったのか、あるいは破
壊的な倹約家であったのか。(中略)
天然資源を利用しないで保存することは、社会へのサービスでは
ない。それは、物は人よりも重要であるという、旧式の理論に執
着することにほかならないのである。現在、わが国の天然資源は、
われわれのあらゆる需要を満たすに十分である。資源について思
いわずらうことはない。われわれが思いわずらうべきことは、人
間労働のムダについてである。

■■ 人間労働のムダ ■■
炭鉱の鉱脈に例をとろう。石炭は鉱山に眠っているかぎり重要な
ものではない。だがその塊でも、掘り出されてデトロイトに運ば
れれば、それは重要なものになる。なぜならその石炭は、採掘と
輸送の際に費やされた人間労働の量を表すからである。もしわれ
われがその石炭を少しでも浪費するなら、言い換えれば、もしわ
れわれがその石炭を完全に利用しきらないなら、われわれは、人
間の時間と努力をムダにすることになる。ムダにされることにな
っているものを生産しても、多額の賃金支払いを受けることはで
きない。
ムダについての私の理論は、物それ自体から、物を生産する労働
へと遡る。労働の価値全部に対して支払いができるようにするた
めに、労働の価値全部を利用したいというのがわれわれの希望で
ある。われわれが関心をもつのは利用であって保存ではない。わ
れわれは、人間の時間をムダにしないようにするために、物質を
その極限まで使うことを望んでいる。もともとそれ自体はただな
のである。それは管理者の手中に収まらないうちは値打ちのない
ものである。

■■ 廃棄物を再生するムダ ■■
物質をただ物質として節約するのと、物質が労働を表わしている
という理由で節約するのとは、同じことに思えるかもしれない。
しかし、この考え方の差は重大な相違を生む。物質を労働を表わ
すものとしてみるなら、より注意深く使うであろう。たとえば物
質は再生して再度利用することができるからといって、それを軽
々しくムダにはしないであろう。なぜなら廃物利用には労働が必
要だからである。理想は利用すべき廃物を出さないことである。
われわれのところには大規模な廃物利用部門がある。この部門は、
わかっているだけでも、年間2,000万ドル以上の利益をもたらし
ている。だが、この部門がしだいに成長し、その重要性を増し、
それが著しく価値あるものになるにつれ、われわれは次のような
疑問をもちはじめた。「なぜこのようにたくさんの廃物がでるの
か。ムダにしないようにすること以上に、再生することに意を用
いているのではないか。」
そこでこうした考えを念頭におきながら、われわれの全工程を調
査しはじめた。(中略)われわれの今日までの研究と調査は、年に
8,000ポンドもの鋼鉄の節約をもたらしている。それらの鋼鉄は、
以前はくず鉄にされ、新たに労働を投下して再生されねばならな
かったものである。これは年間約300万ドルの金額に相当する。
あるいは、より適切な表現をすれば、われわれの賃率で換算して、
2,000人以上の労働者の雇用に匹敵する。こうした節約は、すべて
非常に簡単に達成されたので、どうしてもっと以前にそうしなか
ったのかと今にして思えば不思議なくらいである。