トヨタ物語13 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.399 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** トヨタ物語13 ***
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テクノファでは3月17日にWEBで「テクノファフォーラム29回」
を「改めて考える品質不正」と題して開催します。
慶應義塾大学理工学部 管理工学科 山田秀先生、山口利昭法先生
(弁護士)、安藤之裕氏、大久保友順氏を迎えて講演、及びパネル
ディスカッションを予定しています。品質不祥事と真逆な話がト
ヨタ創業期の話です。トヨタ創業時の話を聴くと近年の品質不祥
事の話と大きなギャップを感じます。竹がまっすぐ成長する青年
と葉が枯れだした老木との違いのごとくです。下記の記述は1970
年頃に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)の講演記録からです。

■■ フォードの後にフォードなしか ■■
私はフォード・システムに代表されるアメリカの、いや現在では
世界を支配する大量生産方式の原点をフォードの人と業にもとめ
てきた。トヨタ生産方式も「流れ作業」という点では、フォード・
システムから学んだ点は多いのであるが、フォード・システムは
あくまでアメリカの風土のなかに生まれたものであること。そし
てフォード・システムが自動車の大衆化時代をもたらしたT型フ
ォードの量産の形で生み出されたことを十分に考えた上で、私は
日本の風土に適した日本式の生産方式があるのではないかと求め
てきた。
フォード・システムの「流れ作業」がフォード社も含めたアメリ
カの自動車企業のなかでどのように展開されてきたかについて、
私はヘンリー・フォードの真意が正確に理解されなかったのでは
ないかと思う。部下の人々はむしろ流れをせきとめるような、ロ
ットをできるだけ大きくしてつくるやり方を定着させてしまった。
その理由はどこにあったのだろうか。フォードの窮極のねらいが
明らかにならないうちに、アメリカの自動車市場における競争が
激化し、自動車の本家を自認していたフォード社自体がライバル
のGMに急追されるに至り、フォード・システムの正しい展開を
考えるどころではなくなったのであろうかとも考えた。

■■ GMの元会長のA・P・スローン ■■
1920年代のアメリカ自動車市場が大転換期であったことは、GM
の元会長のA・P・スローン・ジュニアの著作『GMとともに』
(田中融二、狩野貞子、石川博友訳)に詳細に書き留められてい
る。その書によると、1924年から1926年にかけて、アメリカの
自動車市場を一変させるような事件が起きた。それは1908年以
後、T型フォードの発売によって、それまで長らく続いていた限
られた高級市場時代から、一挙に大衆市場時代へ変わったことに
も匹敵する大変化である。
すなわち、ヘンリー・フォード1世の「自動車は廉価な基本的運
輸手段である」という考え方が市場を支配していた時代から、ス
ローンのいう「絶えず向上を続ける大衆車、言い替えれば、より
豊かに変化する大衆高級車市場の時代」へ変わった。

自動車産業の発展に端を発して、1920年代には、アメリカ経済
は新しい上昇期に入った。それに伴って新たな要素があらわれ、
再び市場が変化し過去と現在とを区分する分岐点が生じたのであ
る。
これらの新たな要素を大別すると、割賦販売、中古車の下取り、
セダン型の車体、アニュアル・モデル(毎年の新型車)の4つに
わけられる。(もし自動車の環境を考慮に入れるならば、改善さ
れた道路をこれに加えたい)。これらの要素は今日の自動車産業
に深く根を下ろしているので、これらを除外して考えることはほ
とんど不可能である。1920年前とその後しばらくは、車を買う
人ははじめて車をもつ人に限られ、代金は現金か、特殊の借入金
で支払った。車種はロードスターか、ツーリング車が多く、型は
1年前と変わらず、翌年も変わりそうもないものが選ばれた。こ
のような状態はしばらく続き、型が変わってもクライマックスに
達するまでは、その変化は目立たなかった。というのは、おのお
の新しい要素が別々に変化しはじめ、別々な速度で発展を遂げ、
最後に相互に作用して完全な変化を遂げたからであった。

この市場の大変化を、GMのスローンはチャンス到来とばかりに
とらえ、より豊かに変化する大衆高級車市場に、例のGM独特の
戦略であるフル・ライン政策をかかげて市場ニーズを消化してい
くのであるが、いまでいうこの市場の「多様化」現象に自動車企
業は製造面でどう対応したのか。

■■ 競争の激化とトヨタ生産方式 ■■
T型フォードの量産時代から、GMのフル・ライン・ポリシーの
時代に入ると、各生産工程も複雑化してくるのは当然である。多
種類の車をつくってコスト・ダウンするために、部品の共通化が
格段に進歩したことは明らかなのだが、フォード・システムが大
幅に手直しされて、市場の「多様化」に応じて、画期的な生産シ
ステムをつくり上げたとはどうしても思えない。
「市場の多様化」に応じたワイド・バリエーションによって、価
格政策の妙を盛んに発揮しだすのはこのころであるが、生産現場
では、私からみると、未完成のままのフォード・システムがその
時期に根深く定着していったように思われる。
私はトヨタ生産方式を作り上げる過程で、多種少量という日本の
市場特性をいつも頭に置き、少種大量というアメリカの市場特性
とは違うのであるから、日本の生産方式を生み出さなければなら
ないと考えてきた。
いまトヨタ生産方式にのっとって市場ニーズを受けとめ生産して
いてつくづくと考えることは、日本的風土である多種少量を前提
に練り上げてきたトヨタ生産方式にとって多種大量の条件はむし
ろ望ましいことであって、それだからこそ、成長した日本市場で
効果を発揮していることを強調したいのである。同時に、トヨタ
生産方式がスローンの時代以来、多種大量の自動車市場になった
アメリカでも通用するものであると私は考えている。