トヨタ物語 5 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.388 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** トヨタ物語 5 ***
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品質不祥事も事例7までお伝えしましたので、品質不祥事から
離れてまた「トヨタ物語」へ戻りたいと思います。下記の記述
は1970年頃に私が聴いた大野耐一氏の講演記録からです。

■■ 2人の傑物 ■■
トヨタ生産方式の基本思想を支える2本の柱について説明する。
「自働化」は豊田佐吉翁の思想と実践のなかから汲み取ったも
のである。佐吉翁の発明した豊田式自働織機はスピードが速い
だけでなく、たくさんの経糸のうち一本でも切れたり、横糸が
なくなったりすると、機械が自動的に止まる仕掛けになってい
る。
 トヨタ生産方式は生産現場のムダ、ムラ、ムリを徹底的に排
除することを絶対の条件としているために、機械に少しでも異
常が発生し、不良品を生み出す恐れが生じた場合には、直ちに
止まることが不可欠である。
 これについては、豊田式自働織機という具体的な教科書が目
前にあった。機械に人間の知恵をつけることこそ、真に人間の
ための機械になることを佐吉翁の業績から学ぶことができた。

■■ 豊田佐吉翁 ■■
学ぶべきは佐吉翁の物に対する真摯な態度であった。原口晃氏
の「佐吉翁に聴く」という文章のなかにこんな一節がある。
「其の時分は今日の様に紡織業が盛んに行われて居る訳では
ない、多くの家で婆さんたちが手織縞を織る位のものであった。
農家ばかりの自分の村でも戸毎に、皆手織機を持って居った。
その環境に支配されると云うものか、自分の考えは、段々とこ
の手織機の方に向って来た。ある時は近所の婆さんが機を織る
のを終日立って見て居った事もある。機の動く調子が段々と判
って来る。織り上げられる木綿がだんだん巻き上げられてゆく。
見れば見る程面白くなって来る。興味も起って来る。」

佐吉翁20歳の春、明治20年ごろを振り返って語ったものであ
るが、私は、ここで、お婆さんが機を織るのを終日立ちつくし
て見ていたこと、機の動く調子がだんだんとわかってきたこと、
そして、見れば見るほどおもしろくなってくること、この態度
に感動した。

■■ 改善 ■■
 私がいつも口が酸っぱくなるほど言っている、対象物に5回
の「なぜ」を繰り返してみよというトヨタ生産方式における思
考原則も、実をいうと、佐吉翁のこうした態度に通ずるもので
ある。
作業の改善といっても、生産現場を熟知せずにはなにごともで
きない。生産現場に終日、立ちつくして見よ、そうしたら何を
しなければならないかが自ずとわかるはずであると、私は繰り
返し言ってきた。
両眼を見開いて生産現場に立つと、ほんとうにムダとはどうい
うものかがはっきりとわかるものである。私どもが絶えず注意
を喚起している、「動き」を「働き」にする具体的な方策も発見
できるはずである。

■■ 改豊田喜一郎 ■■
 「ジャスト・イン・タイム」という言葉は豊田喜一郎氏の口
から直接、発せられたものであるが、こちらの柱は、「自働化」
の発想を促してくれた豊田式自働織機のような対象物がなかっ
ただけに、別の意味で難題であった。
 佐吉翁が初めてアメリカに渡ったのは明治43年(1910年)、
自動車産業の勃興期であった。自動車人気が高まって、われも
われもと自動車づくりに乗り出していたときであり、あのT型
フォードがちょうど2年前(1908年)に発売開始されて、続々
と市場に現われているのを、佐吉翁は目のあたりにしたのであ
る。
 いま思っても、ものすごい刺激であったろう。しかも相手は
発明王の佐吉翁である。4か月のアメリカ滞在で、自動車のな
んたるかを見て取ったにちがいないのだ。自動車が大衆の足に
なりうることを独特の勘で読み取ったのではなかったか。
その証拠には、帰朝以来、佐吉翁は、「これからの時代は自動
車だ」と繰り返し言っていたと聞く。
 豊田喜一郎氏が自動車事業に取り組んだのも、佐吉翁の意を
体してのことにはちがいなかったが、自動車産業に対する認識、
つまりアメリカの自動車企業を見る目はじつにクールであった
ように思われる。すなわち、自動車産業の可能性がいかに大で
あるかを認識すると同時に、無数の周辺企業の存在、そのなか
での企業体制など、自動車事業のむずかしさをも心の底に刻み
込んでいたのではなかったか。