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6)キャリア開発の効果検証
近年、「キャリア自律」や「キャリアオーナーシップ」という言葉が、組織の中でポジティブに使われる機会が増えてきた。
その背景には、「社員の主体的なキャリア形成が企業にどのような影響をもたらすのか」という問いへの関心の高まりがある。
これまで、この問いに対して示されるものの多くは定性的なデータであった。例えば、公募制度を利用して他部署へ異動した社員へのヒアリングでは、「新しい部署で新たな挑戦ができ、成長を実感できた」といった主観的な感想が中心となっていた。
もちろん、こうした本人の実感や意欲の変化は重要である。しかし、経営陣に対して「人的資本経営の実現に向けて、なぜキャリア開発が必要なのか」を説明し、継続的な投資を促すためには、定量的な効果検証が不可欠となる。
キャリア開発への投資効果を可視化することにより、企業は人的資本への投資価値を客観的に把握し、より効果的な施策を検討できるようになる。また、個人にとっても、自身の成長やキャリア形成の成果を振り返る指標となり、主体的な学びや挑戦への動機づけにつながる。
キャリア投資の効果検証を行うためには、いくつかのステップが重要となる。まず、キャリア施策によって何を実現したいのかという目標を明確に設定する必要がある。そのうえで、エンゲージメント、離職率、異動後の活躍度、学習参加率、生産性向上など、適切な指標を選定する。
さらに、アンケート、面談記録、人事データなどを活用してデータを収集し、分析を行うことで、施策の成果や課題を把握することが可能となる。そして、その結果を経営層や現場へ共有し、次の施策改善へつなげていくことが重要である。
このように、目標設定、指標選定、データ収集、分析、評価、フィードバックという一連のプロセスを通じて、キャリア投資の効果を体系的に検証することができる。
人的資本経営が重視される時代において、キャリア開発は単なる福利厚生施策ではなく、企業の持続的成長を支える重要な経営戦略となっている。その価値を定量・定性の両面から検証し続けることが、これからの組織運営においてますます重要となるのである。
7)ROIからROCIへ
現在、筆者である田中教授は、ROCI(Return on Career Investments)という指標の開発を進めている。ROCIのベースとなるのは、投資対効果を示すROI(Return on Investment)である。
ROIは、各種投資の収益性を評価するための基本指標として、ビジネスや経営の場で広く活用されている。
ROI=純利益/投資額x100
投資により得られた総収益から、投資コストや関連経費を差し引いた純利益を、投資した総コストで割る事で算出する指標となる。
ROCIは、個人や組織がキャリアや人的資本に対して行った投資の効果を評価するための指標となる。
ROCI=キャリアからのリターン/キャリアへの投資額x 100
ここでいう「キャリアからのリターン」とは、昇進、給与増加、スキル向上、ネットワーク拡大など、キャリア形成を通じて得られる総合的な利益を指す。
一方、「キャリアへの投資額」とは、教育・研修費用に加え、学習時間や努力、関連経費など、キャリア形成に投じた総コストを意味する。
例えば、ある社員が年間100万円を教育や訓練に投資し、その結果として昇進により年間200万円の昇給を得た場合、ROCIは以下のように算出される。
ROCI=200万円/100万円x100=200%
ROCIは、キャリア開発や人的資本投資の成果を評価するための新たな指標であり、個人のキャリア成長や組織の人材育成施策の有効性を測定する役割を担う。
このような指標を導入することで、企業は人的資本への投資の重要性を再認識し、持続可能な成長に向けた人材戦略を強化することが可能となる。
一方で、ROCIは今後さらに丁寧な検証を重ねていく必要がある。特に課題となるのは、「キャリアからのリターン」の詳細な算出方法である。昇進や給与増加だけでなく、スキル向上や人的ネットワークの拡大といった要素を、どのように定量化し評価するかが重要となる。
ROCIの導入により、これまで主観的・属人的になりがちだったキャリア開発の取り組みを、客観的かつデータドリブンなソリューションへと進化させることが期待される。特に、ミドルシニア社員のキャリア開発や戦略的人材配置の分野において、大きな活用可能性を持つ指標である。
8)ミドルシニア期のキャリア開拓を促進するための人的資本経営の具体的施策
人的資本経営とは、社員のスキルや経験、健康などを、企業の成長に不可欠な「資本」と捉え、その価値を最大化していく経営手法である。
特に、ミドルシニア期の社員が培ってきた知識や経験を活用し、キャリア開拓を促進することは、企業の競争力向上に大きな影響を与える。
一方で、ミドルシニア期の社員は豊富な経験を有している反面、キャリア開拓においていくつかの課題に直面している。以下に主要な課題と、その具体的な対応策について述べる。
① スキルの陳腐化と新しいスキルの習得
技術革新が進む中、ITスキルやデジタルツールの活用は、ビジネスにおいて不可欠なものとなっている。ミドルシニア社員がこうした変化に対応できない場合、キャリアの停滞を招く恐れがある。
そのため企業は、ミドルシニア期の社員に対しても、デジタルリテラシー向上のための研修やサポートを積極的に実施する必要がある。例えば、eラーニングを活用した自主学習プログラムや、専門講師による研修を通じて、基礎から学べる環境を整備することが効果的である。
② キャリアの限界感と成長機会の不足
ミドルシニア期になると、「これ以上の成長は難しい」「新たな挑戦ができない」といった限界感を抱く社員が増える傾向にある。その結果、モチベーションが低下し、自己成長への意欲が失われることが懸念される。
こうした課題に対しては、「リスキリングプログラム」や「ジョブローテーション」の導入が有効である。リスキリングプログラムでは、新たなスキルや知識を習得する機会を提供するとともに、自身のキャリアの方向性を見つめ直す機会にもつながる。さらに、ジョブローテーションによって他部門や新たな職務を経験することで、社員は新しい挑戦を通じて自己成長を実感できる。
③ 健康面の課題
人的資本経営では、社員の健康も重要な資本として位置づけられる。特にミドルシニア期では、健康状態が働き方やパフォーマンスに大きく影響するため、企業による支援が重要となる。
具体的には、定期健康診断の充実や、ストレス管理を含めたメンタルヘルスサポートを提供し、社員が心身ともに健康な状態で働ける環境を整備することが求められる。
企業としては、これらの人的資本経営施策を戦略的に実行していくことが重要である。以下に、具体的な施策について述べる。
① キャリアコーチング
キャリアコーチングは、ミドルシニア期の社員が自己理解を深め、今後のキャリアビジョンを明確にするために有効な手段である。
定期的なキャリア相談会や個別のキャリアカウンセリングを通じて、社員が自身の強みや価値観に気づき、キャリア開拓に前向きに取り組めるよう支援することが重要である。
② 職務設計と役割の見直し
ミドルシニア期の社員が、自身の強みやスキルを活かして新たな価値を生み出せるよう、職務設計や役割の見直しを行う必要がある。従来の業務に加え、新たなプロジェクトや役割に挑戦することで、自己成長やキャリア開拓を実感できる環境を整えることが重要である。
具体的には、ミドルシニア期の社員がリーダーシップを発揮できるよう、若手社員の育成担当や新規プロジェクトの責任者に任命することが考えられる。これにより、社員自身が成長を実感するとともに、企業にとっても新たな価値創造につながる。
③ フレキシブルな働き方の提供
ミドルシニア期の社員は、健康面や家庭の事情を考慮した働き方を求めることが多いため、柔軟な勤務形態を導入し、働きやすい環境を整えることが重要である。
例えば、フレックスタイム制度やリモートワークを導入することで、時間や場所に縛られない働き方を実現できる。また、介護が必要な家族を抱える社員に対しては、介護休暇制度や短時間勤務制度を整備し、仕事と家庭の両立を支援することが求められる。
④ 次世代育成とノウハウ継承プログラム
ミドルシニア期の社員は、豊富な知識や経験を有しており、それらを組織内で共有し、若手社員へ継承していくことが重要である。ノウハウを継承することで、組織全体のスキル向上につながり、持続的な成長を実現できる。
具体的には、ミドルシニア社員がメンターとして若手社員を指導する「メンタープログラム」の導入が有効である。ミドルシニア社員は、自らの経験を伝えるとともに、若手社員との交流を通じて新たな気づきを得ることができ、自己成長にもつながる。
以上のような人的資本経営の施策を導入することで、ミドルシニア社員がキャリア開拓に前向きな姿勢を持ち、長期的に働く意欲を維持できる環境を整えることができる。
また、社員一人ひとりの成長を支援することは、組織全体の生産性向上やイノベーション創出にもつながり、企業の持続的な発展に寄与すると考えられる。
7.今日から始めるキャリア開拓
1)学びの意欲を発動させる魔法の質問
ミドルシニアが重い腰を上げ、再び学びに向かうためには、何が必要なのだろうか。
そのきっかけとなるのが、次の「魔法の質問」である。
「あなたの命や時間を使って、幸せになってほしい人は誰ですか。助けたい人は誰ですか。」
助けたい人の存在が思い浮かんだら、「その人を助けるために、自分には何ができるのか」を考えてみる。すると、今の自分にできることと、まだできないことが見えてくる。
では、その差を埋めるために必要なものは何だろうか。
そう考えることで、これから学ぶべきことや、出会うべき仲間の存在が見えてくるのである。
一方で、助けたい人がいても、自分のスキルや能力、あるいは環境が不足していれば、その思いを実現することは難しい。だからこそ、「誰かを助けたい」「誰かを励ましたい」という気持ちが、学びへ向かう強い原動力となる。
このような思いは内発的動機となり、自分の強みや可能性に光を当て、必要な学びへの意欲を高めていく。反対に、将来への漠然とした不安だけを理由に学び始めても、継続することは難しい。
「誰かを助けたい」という思いが強まる瞬間、人はこれまで培ってきた知識や経験、スキル、専門性、得意分野、強みといった“自分の力”を自然と発揮し始める。筆者はこれを「Canの発動」と呼んでいる。
もし今すぐに助けたい人が思い浮かばない場合でも、折に触れて「自分が本当に助けたい人は誰だろう」と問いかけてみるとよい。やがて、「この人を助けたい」と感じる瞬間が訪れるはずである。
いきなり「自分のやりたいことは何だろう」と自問自答するのではなく、まずは「誰を助けたいのか」を考えることが、結果として、自分の本当にやりたいことへとつながっていくのである。
2)「人生の正午」ではなく「人生のハーフ」
「人生を通じてどうありたいか」という問いにも定期的に向き合うようにしましょう。「これまで何をやってきたか=過去」を振り返る事も大事となるも、「これからどうしていきたいか=未来」に向き合うようにする。
ユングは40代を「人生の転換期」と捉え、太陽が真上に来る時期として「人生の正午」と表現している。
人生100年時代に、50歳が人生の正午となる。
「これからどうしていきたいのか」を言語化していくと一つのことが浮かび上がった。「人生の正午」を起点としてこれから「暮れていくのではない」ということ。ユングに倣うと正午を過ぎると「太陽が沈んでいく」という意味が想起される。ミドルシニアを迎えたタイミングで沈んでいく未来を描く必要はない。
ミドルシニアのこれからのキャリアは、停滞期へ突入するのではなく、食事、医療、トレーニングなどの各分野の進化により、肉体的精神的に「まだまだ昇っていける」のがミドルシニア期となる。
つまりいくらでもチャンスがあると考えるマインドが必要となるのです。
「人生の正午」ではなく「人生のハーフ」と捉える。
サッカーの試合なら前半45分、後半45分の間に設けられるのが、「ハーフタイム」と言われる。
キャリア形成に置いても、「アンコンシャス・バイアス」を的確に理解せねばなりません。
「人生の正午」を転換点として、それ以降は「暮れていく」「沈んでいく」という「バイアス」は諸悪の根源でしかない。昇り続ける強迫観念にとらわれる必要はなく、それぞれのペースで「人生の後半」の物語を紡いでいくのである。
3) キャリア形成の好循環
キャリア形成の好循環を生み出す出発点は、「目の前の仕事に没頭すること」にある。
自ら進んで主体的に仕事に向き合うことで、心理的幸福感が高まるとされている。
次に、心理的幸福感の高い状態は、労働生産性の向上につながる。
そして、労働生産性が高まることで、可処分所得や時間的・精神的な余裕が生まれ、それらを自己投資や新たな学びに活用できるようになる。
さらに、その積み重ねによって、ビジネスキャリアとライフキャリアの双方における充実感や幸福感が高まっていく。
このように、キャリア形成をうまく循環させるためには、
①目の前の仕事に主体的に向き合う
②心理的幸福感を高める
③労働生産性を向上させる
④ビジネスキャリアとライフキャリアの充実につなげる
というサイクルを継続的に回していくことが重要なのである。
出典:
田中研之輔 (著), 山口裕二 (著), 野澤友宏 (著) (2025) 「これからのキャリア開拓」 中央経済社
(つづく) 吉末直樹
以上
