ISO審査員の皆様にとって、世界経済がどのように動いているかを把握することは⾮常に重要です。
本稿が、皆様が今後の世界経済の大きな流れについて理解を深める⼀助となれば幸いです。
今回の投稿では、「トランプの政策を支える保守思想」について考察してまいります。

1.トランプ政権の2025年関税政策の要点
2025年4月、トランプ政権は主要貿易相手国に対し、新たな関税政策を実施し、日本を含む各国との間で交渉がスタートしました。特に日本には24%の関税が適用されており、自動車、農産物、エネルギー、造船といった分野での協議が進行しています。トランプ政権の関税政策は、単なる保護主義的な対応にとどまらず、背景には「改革保守(Reform Conservatism)」と呼ばれる保守思想があります。まず、その目的と背景を整理します。

    【自動車分野】
  • アメリカ車の日本市場での不振を「非関税障壁(NTB)」として問題視しています。
    例として日本の安全基準やEV充電規格(チャデモ)の違いがあります。
  • 対応策として、日本の自動車メーカー(ホンダ、日産、トヨタ)が米国内での投資・生産拡大を進め、米国への貢献をアピールしています。
    【農産物】
  • 米中摩擦により、大豆・トウモロコシの輸出先を日本にシフトさせたい米国の意向があります。
    米国は、大豆について日本を「中国の代替市場」にしたい、トウモロコシについては飼料・バイオエタノール向けに輸出を拡大したい、そして、コメについてはミニマムアクセス枠内で輸入増加案を準備しています。
  • 日本側では国内農業への影響を懸念しつつも対応を検討しています。
    【エネルギー】
  • アメリカ産LNGやバイオエタノール(トウモロコシ由来)の輸入拡大が議題となっています。
  • 日本は米国とのエネルギー同盟強化の一環として対応準備中といえます。
    【造船】
  • トランプ政権は国防戦略の一環として造船業の復活を主張しています。
  • 日米の造船分野での連携・協力の可能性が模索されています。

2.トランプ関税の目的
トランプ関税の3つの主要目的は以下のとおりです。

1)米国内の産業保護
トランプ政権の関税政策の第一の目的は、米国の基幹産業の保護と再建です。とりわけ、競争力を失いつつあった製造業を関税によって守ることで、国内雇用と技術基盤を維持・強化する狙いがあります。また、関税を利用して外国メーカーの米国への直接投資(FDI)を促進し、米国内での生産体制を整えることで、サプライチェーンの国内回帰を目指しています。

2)貿易赤字の是正
トランプ大統領は、長年の米国の貿易赤字を「他国による富の収奪」と見なしています。とりわけ中国やドイツ、日本との間で生じている恒常的な貿易赤字を問題視し、関税を通じて米国製品の競争力を高めるとともに、輸入品への依存度を低下させることで、貿易収支の均衡を図ろうとする姿勢を示しています。

3)安全保障の確保
第三の目的は、経済的・軍事的な安全保障の観点から、重要な戦略物資の国内供給能力を確保することにあります。特に、鉄鋼・アルミニウム・半導体といった産業は、国家防衛において中核的役割を担うとされており、これらを外国に依存する事をリスクと認識しています。よって、関税を通じてこれらの産業の国内回復を促進する方針が取られています。

3.米国の反省:自由貿易と市場原理主義の副作用
アメリカ合衆国は、第二次世界大戦後、自由貿易体制と市場経済原理を掲げ、グローバル経済を主導してきました。安価な海外製品を輸入し、消費者利益を重視する政策を推進することで、経済成長と生活水準の向上を図ってきました。しかしその反面、以下のような問題点が浮き彫りとなりました。

    1)産業の空洞化
  • 製造業がコスト削減を目的に中国や東南アジアへ移転した結果、国内の製造基盤が喪失しました。
  • サプライチェーンを国外に依存しすぎたため、試作品の開発すら国内で困難な状況が発生しました。
  • 技術力や管理能力の継承が断絶し、国家的な競争力の低下を招きました。
  • 近年では中国の人件費上昇やドル安を背景に、米国製造業の相対的競争力が回復しつつあるが、完全な再建には至っていません。
    2)地方都市の衰退
  • 自動車の普及や郊外型住宅地の拡大により、中心市街地の空洞化が進行しました。
  • 経済活動が郊外や他国に移行し、商業施設や住民の流出が地方都市の経済を衰退させました。
  • 地域の中核産業を失ったことで、雇用・税収の減少、インフラの老朽化といった二次的被害が連鎖的に広がりました。
    3)白人中流層の没落
  • グローバル化とIT化により、製造業の雇用者数は2000年の1,725万人から2024年前半には1,295万人と、同期間で24.9%減少しました。 出典:第一生命経済研究所「ラストベルトの雇用はどこに消えたのか?~保護貿易政策で雇用が大幅に戻る可能性は低い~」(2024.09.10)
  • ホワイトカラー職もコールセンターなどを中心に海外へアウトソーシングされ、雇用が不安定化となりました。
  • 中流層の象徴であった安定した製造・事務職が失われ、低賃金のサービス業へと転換が進行しています。
  • 地方では代替産業が育たず、貧困・薬物依存・政治的極端主義といった社会問題が表面化しました。
    4)中国の国家資本主義型との競争
  • 中国は「自由貿易」を掲げながらも、実態は国家主導の長期的・非市場的経済戦略を採用しました。
  • 国有企業による補助金、知的財産権の侵害、ダンピング輸出などで、競争の公平性が損なわれました。
  • 一方で米国企業は短期的な利益追求を前提とした民間主導型であるため、長期的かつ国家主導の中国型経済に太刀打ちできない構造的欠陥に直面しました。
  • 米国は中国の民主化を前提にWTO加盟(2001年に加盟)を支援しました。結果としてその見込みは外れ、中国は自由経済を政治的に利用する存在となりました。

アメリカは自由貿易と市場原理主義に基づく政策によって、経済効率や消費者利益を最大化する一方で、産業の空洞化・地域格差・中流層の没落など深刻な社会的問題に直面してきました。加えて、国家主導で経済戦略を進める中国との競争は、従来の米国型資本主義の限界を露呈させており、その反省に立脚した新たな経済思想としての改革保守(Reform Conservatism)の登場へとつながりました。

4.背景にある「改革保守(Reform Conservatism)」の思想
近年、アメリカ国内では従来の市場原理主義に対する見直しが進んでおり、その中心にあるのが「改革保守(Reform Conservatism)」という新たな保守思想です。改革保守の主張、その思想的支柱であるオレン・キャス氏の役割、そしてこの思想が米国の通商・産業政策に与える影響について考察します。

1)オレン・キャスと「アメリカン・コンパス」
改革保守の理論的中心人物は、元ミット・ロムニー大統領選顧問であるオレン・キャス(Oren Cass)氏です。彼は2019年にシンクタンク「アメリカン・コンパス(American Compass)」を設立し、共和党内の保守派と連携しつつ、労働者重視・産業重視の経済政策を提唱しています。

    キャスの主張の核心(著書『The Once and Future Worker』より):
  • 市場は常に最適解をもたらすとは限りません。
  • 労働には「所得」以上の価値(社会的貢献・家族の安定・地域社会の維持)があります。
  • GDPや株価重視の政策は、中間層の疲弊と地域の崩壊を招いてきた。

オレン・キャス (Oren Cass)の経歴
アメリカン・コンパス設立者、チーフエコノミスト。 ウィリアムズカレッジ(マサチューセッツ州)BA、ハーバード大学ロースクールJD。シンクタンクAmerican Compassを2020年に設立。 2005年から2015年までコンサルタント会社(Bain & Company, Boston)に勤務。ミット・ロムニー候補の2012年米大統領選挙活動における国内政策ディレクターを務めた。米国の保守派/共和党が経済アジェンダの支柱としていた「小さな政府」の方針を転換し、家族・コミュニティなどの価値の再生と、格差社会を是正するための保守派の改革を唱える「改革保守(リフォーモコン)」と呼ばれる知識人の中心人物の一人。 著書に『The Once and Future Worker: A Vision for the Renewal of Work in America』(2018年)。フィナンシャル・タイムズおよびニューヨーク・タイムズに定期寄稿。 出典:国際交流基金のHP

2)改革保守の経済政策の中核

(1)戦略産業政策の推進
製造業、半導体、エネルギーといった基幹産業の再建を、政府の戦略的支援と保護をもって行うべきとします。これは、中国型の国家資本主義に対抗し、自国の経済的自立性を保つための方策といえます。

(2)貿易政策の見直し
従来の自由貿易は一部の国や企業には利益をもたらしましたが、多くの労働者にとっては雇用喪失や地域崩壊を引き起こしました。よって、選択的関税の導入をつうじてのサプライチェーンの国内回帰が必要とされます。

(3)労働者重視の経済(Labor-Centered Economy)
キャス氏は、経済政策の評価軸を「労働者の機会と尊厳」に置くべきと主張しています。地域再生と雇用の質向上を重要視しており、労働の社会的価値を経済成長の中心に据えています。

(4)金融資本主義からの脱却
現在の米国経済は金融・株主利益を過度に重視しており、実体経済や労働を軽視しています。改革保守は、自社株買いの優遇制度などに批判的で、「資本」よりも「労働」を重視する経済構造への転換を目指しています。

3)トランプ政権との関係性
トランプ政権(第2期)は、こうした改革保守の思想に大きく影響を受けています。2025年に導入された新たな関税政策や、国内産業の再構築に向けた諸政策は、改革保守の提唱する「国家による戦略的産業支援」の枠組みに沿っています。なお、キャス氏は政府の公式ポジションには就いていないものの、政策立案や議会調整の裏方として影響力を行使しているとされます。

4)改革保守の特徴と意義

特徴 内容
自由市場からの転換 グローバル市場に任せた結果の格差・衰退に反省。
国家主導の産業戦略 製造業・エネルギー等を重点支援。
関税を「戦略」として位置付け ポピュリズムではなく、供給網や雇用維持の手段。
労働の再評価 GDPや株価ではなく、労働者の尊厳と地域経済を重視。
    5)今後の注目点
  • 改革保守は、単なる一時的な「脱グローバリズム」ではなく、アメリカ経済の構造的転換を目指す運動といえます。
  • その影響は関税政策や産業政策にとどまらず、日米経済関係の再設計にも大きな影響を及ぼす可能性があります。
  • 日本としても、譲歩型の交渉姿勢を超えた戦略的投資や産業政策の再設計が急務といえます。
  • 日本に対して、今後米中いずれの経済圏に主軸を置くかという選択を迫る局面が想定されます。

「改革保守」は、従来の市場原理主義に基づく自由貿易・金融重視の政策に対する体系的な対抗思想であり、その核には労働の再評価と国家の戦略的役割があります。今後の米国の経済政策を理解する上で、オレン・キャスをはじめとした改革保守の思想は欠かせない視点となります。

(つづく)吉末直樹