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5.ミドル・シニア社員を活性化させる秘訣
1)行動変容の結果
浅井氏が面談した1,800名のうち、約75%の社員に行動変容が見られました。一方で25%は変化が起きず、浅井氏自身もその課題を認識しています。しかしながら、キャリア研修と面談を経て7割以上に変化が生じたことは大きな成果といえます。
「わかる」と「かわる」は紙一重です。研修を受講し、気持ちを切り替えることで行動が変わるのです。ミドル・シニアのキャリア研修では、凝り固まったマインドをリセットすることが重要なポイントとなります。
NTTコミュニケーションズの研修と面談を通じて観察された行動変容の例は以下の通りです。
- 業務に役立つ新たなスキルの習得
- 既存スキルのブラッシュアップ
- 業界や会社の最新動向の収集
- 将来を見据えた能力開発(資格取得や研修受講)
- 日常業務への取り組み姿勢の改善
- 組織内コミュニケーションの活性化
- 地域や社会貢献活動への参加
- 健康管理への意識向上
研修効果の成功要因について、「Brinkerhoff, RO, & Apking, A. (2001). 『ハイ・インパクト・ラーニング:研修からビジネス成果を引き出す戦略』」によると、次の「40/20/40モデル」が示されています。
- 事前準備(目的の明確化):40%
- 研修内容(企画や講師の質):20%
- 研修後の活用(現場でのフォロー):40%
このモデルは、研修そのものよりも「前後の取り組み」が効果を左右することを明確に示しています。
2)一貫した人事政策としてのキャリア開発
NTTコミュニケーションズでは、トップの理解、研修、面談、フォローアップを一貫した人事施策として展開しています。トップの理解は強力な後ろ盾となり、「あなたは必要だ」と伝え続けることが社員のモチベーション維持につながります。
報酬には経済的報酬(給与・役職)と象徴的報酬があります。後者には、働きがいのある仕事、専門性の向上、人間的な成長などが含まれます。働くことは「傍を楽にする」ことであり、評価は必ずしも金銭に還元されるものではありません。象徴的報酬は心理的満足感を高め、優秀な人材の定着を促す効果があり、結果として企業の成長性も高まります。
3)評価されない中でのモチベーションの維持
老後の「3K(健康・金・きずな)」は深刻な不安要素であり、職場や家庭での居場所を失うことは大きな心理的負担となります。社内外のネットワークは日々の小さな努力の積み重ねによって築かれます。
50代に見られる「シニアシック」には以下の傾向があります。
- オレオレ病:過去のプライドに固執する
- イライラ病:短気で周囲に当たり散らす
- ダメダメ病:他人を否定する
- ムリムリ病:新しいことに拒否反応を示す
- フムフム病:聞くだけで行動しない
これらにどう対応するかはリーダーの重要な役割となります。ただしリーダーの努力だけでは足らず、職場内での工夫も求められます。
モチベーション維持には「自己決定理論(Self-Determination Theory)」の理解が不可欠です。この理論(Deci & Ryan, 1985)は、人の動機づけを「自己決定の度合い」に基づいて連続的に捉えるもので、外発的動機づけから内発的動機づけへの移行プロセスを説明しています。
持続的モチベーションを支える内発的動機づけの3つの基本的欲求は以下の通りです。組織としても個人としても3つの心理的欲求(自律性、有能性、関係性)を理解して実践することが不可欠となります。
- 自律性:自分で決めたい欲求
- 有能感:自分の能力を発揮したい欲求
- 関係性:他者とのつながりを感じたい欲求
この理論は教育、スポーツ、人材マネジメントなど幅広い分野で活用されており、ミドル・シニアのキャリア開発においても有効です。
6.キャリア開発における視座
1)キャリア開発とは
本書では、働き方や生き方をアップデートする手法として「ビジトレ」が推奨されています。そして、その理解の前提となる考え方が「キャリア開発」です。
まず「キャリア」とは、単にビジネス上の実績や成果だけを意味するのではなく、働き方や生き方すべてを含む「軌跡」を指します。ここでいう軌跡は「これまでたどってきた道=過去」だけではなく、「これからたどる道=未来」も含んでいます。つまりキャリアとは、「過去―現在―未来」をつなぐ一連の軌跡と理解すべきです。
次に「開発」という言葉は、システム開発・事業開発・土地開発などに見られるように、「何かを創り上げていくプロセス=過程」に重きを置いて使われます。キャリアにおいても、「これから歩む道をただ描くだけ」ではなく、「よりよいものへと創り上げていくためのプロセス」として位置づけられます。
キャリア開発には、次の二つの側面があります。
- ① 個人がこれまでの経験を活かし、これからのキャリアを主体的に構築していくこと。
- ② 組織が人材開発を通じて、社員のパフォーマンスを高めていくこと。
つまりキャリア開発とは、個人と組織をつなぐ実践的な考え方です。難しく捉える必要はありません。重要なのは、「自分のキャリアを企業任せにせず、自ら主導権を握り構築していく姿勢」を持つことです。
ただし、それは「自分さえ良ければよい」という自己中心的な発想ではありません。組織にキャリアを全面的に委ねないにしても、いま所属している職場でベストな成果を発揮するための準備、心構え、具体的な取り組みこそが、キャリア開発の本質なのです。
2)個人視点からのキャリア開発
キャリア開発を個人の側面から考える際に参考となるのが「キャリア自律」という考え方です。慶應義塾大学の花田教授・宮地教授はキャリア自律を、「めまぐるしく変化する環境のなかで、自らのキャリア構築と継続的学習に取り組む、生涯にわたるコミットメント」と定義しています。これは、組織に依存せず、個人が主体的にキャリアに関心を持ち、変化に対応しながら自己成長を続け、能動的にキャリアを切り拓いていく姿勢を意味します。
米国カリフォルニア州のキャリア・アクション・センターが提唱する「キャリア自律型キャリア開発モデル」では、次の4つのステップが強調されています。
- ① 自己を理解する
- ② 環境を理解する
- ③ 自己と環境の統合を図る
- ④ キャリアゴールとアクションプランを構築する
花田教授によると、「自立」と「自律」は異なります。「自立」とは自己の意見を持ち、主張できる状態ですが、それだけでは単なる自己満足に終わる可能性があります。一方「自律」は、他者のニーズを把握し調整を図りつつ、自らを律して自己実現に向かう姿勢を指します。真のキャリア自律とは、長期的なキャリアビジョンを持ち、困難にも自己動機付けをもって挑戦し、価値を拡張し続けることなのです。
3)企業視点からのキャリア開発
キャリア開発には、個人が主体的に能力を高めていく側面と、組織が社内で体系的に人材を育成する側面の両方が含まれます。近年では、ミドル・シニア層を対象としたキャリア開発研修が積極的に導入されるようになってきました。日本的経営が歴史的転換点を迎える中で、社内教育制度も変化を迫られています。現状では、若手や中堅社員向けの研修は依然として多い一方、キャリア中期から後期にかけての研修は手薄であり、この層への取り組みが急務となっています。人生100年時代を見据えるならば、各世代の役割や責任を明確化し、それに即したキャリア開発を構築する必要があります。
経団連のアンケート(2024年)によれば、高齢社員に対しては、これまで培ってきた専門知識やノウハウ、人脈、顧客との関係を活かし、後進を指導・育成することが期待されています。企業は、高齢社員が持つ専門能力の発揮と、それを次世代に継承していくことを重要な役割と位置づけています。ただし、課題となるのは高齢社員のモチベーションの維持です。そのためには、専門性を活かせる業務へのアサインや、キャリア研修を通じた支援など、企業側による積極的なサポートが求められます。
さらに、55歳前後で役職定年を迎えることにより、社員に期待される役割は大きく変化します。60歳以降は再雇用されるケースが多いものの、新たな処遇に満足できない、役割の変化に適応できない、あるいは部下を持たない環境での働き方に不慣れであるといった課題が指摘されています。加えて、これまで「60歳定年」を前提にキャリアを設計してきた世代にとって、定年後も働き続ける必要が生じると、モチベーションを維持しにくいという現実もあります。
4)個人と企業の統合視点からのキャリア開発
新しい技術の進展や市場のグローバル化は、個人のキャリア環境だけでなく、その基盤となる伝統的な社会構造そのものを大きく揺るがしています。この現象は「キャリア地震」とも呼ばれています。Watts(2001, Career Education for Young People)は、これからの時代には「キャリアは与えられるものではなく、自ら作り上げるもの」という発想が必要であると指摘しています。すなわち、個人は自らの未来を軸にキャリアを構築していく方向へと転換していかなければなりません。
一方で、キャリア開発は個人の成長と組織の発展をつなぐ架け橋の役割を担っています。従来の人材育成は企業組織の論理を優先しがちでしたが、草野千秋(2007, 「人的資源開発の理論的系譜と概念の整理」)は、企業の人材育成をいかに個人の能力開発へと結びつけるかが課題であると指摘しています。つまり、個人のキャリア形成と企業の人材戦略を統合的に考える視点こそが、これからのキャリア開発において不可欠となるのです。
7.まとめ
ビジトレに取り組み、一挙手一投足を改善し続ける社員は、もはや企業のお荷物ではありません。むしろ、自ら学び行動を変え続ける存在こそが、組織にとって重要な資産となります。
しかしながら、キャリア開発という考え方は依然として十分に浸透しているとはいえません。多くの組織では、キャリア形成は「個人の自己責任」とされ、制度的な支援とのつながりが希薄です。本書で見てきたように、キャリア開発は個人の取り組みと組織の支援が掛け合わさってはじめて実践的な効果を生みます。個人と組織の努力が分断されたままでは成果は得られません。
浅井氏が伝えたいのは、まさに「行動変革によって活性化した社員がいる」という事実の重みです。企業を支えているのはベテラン社員であることを、改めて認識する必要があります。浅井氏が6年間大切にしてきたことは「徹底的に現状を把握する」ことであり、それが行動変革への出発点となってきました。
今後、70歳定年延長や定年制廃止を見据えると、企業と個人が共に取り組むべきキャリア支援策として、次の2点が重要です。
第一に、個人の視点
培ってきた経験を整理し、新たな役割に柔軟に対応できるよう、マインドセットの転換と継続的な自己研鑽を続けること。
第二に、企業の視点
ミドル・シニア層に対し、「まだまだあなたに期待している」というトップからの明確なメッセージを発信し、役割を与え続けること。
この2つの視点を両輪として動かしていくとき、キャリア開発は真に実効性を持ち、ミドル・シニア層が企業の未来を支える原動力となるのです。
参考文献:
田中 研之輔・浅井 公一・宮内 正臣(2020)「ビジトレ 今日から始めるミドルシニアのキャリア開発」金子書房
吉末直樹(つづく)