ISO審査員が組織の方々とお話しするいろいろな機会に、隙間話題として本稿がお役に立てれば幸いです。

 近年、DNA分析技術の飛躍的な進歩により、人類の起源だけでなく、日本人のルーツに関する研究も大きく前進しています。これまで日本人の起源については、考古学や形質人類学(骨の形状など)に基づいた複数の仮説が提唱されてきましたが、最新のゲノム解析によって、それらの仮説が再検証され、新たな視点が加わりつつあります。
 本稿では、日本人の起源に関する従来の主要な説を概観したうえで、DNA解析によって明らかになった新たな知見と比較しながら、その変遷を探っていきます。

1.人類の起源について
 「人類はどこで誕生し、どのように世界各地に広がったのか」、「日本人はどこから来たのか」という問いに対して、人類学者はこれまで、遺跡から出土した人骨の形態をもとに、時代・集団・分布・共通性などを分析し、さまざまな仮説を立ててきました。

 かつて主流だったのは「多地域進化説」でした。これは、100万年以上前にアフリカを出た原人(*1)が、アフリカやユーラシア各地で独立して進化し、それぞれの地域で現代人(新人)に至ったとする説です。
 たとえば、ネアンデルタール人(*2)はヨーロッパ人に、ジャワ原人(*3)はオーストラリア先住民に、北京原人(*4)は東アジア人に進化したとされていました。
 しかし、近年のDNA解析により、この説は否定されつつあります。代わって有力となっているのがアフリカ単一起源説(*5)です。
 この説によれば、現生人類(ホモ・サピエンス)は約20万~14万年前にアフリカで誕生し、約7万~6万年前にアフリカを出て世界各地に広がっていったとされます。つまり、ネアンデルタール人や北京原人、ジャワ原人などは現代人の直接の祖先ではなく、それぞれが独自に存在したが最終的には絶滅したと考えられています。
 DNAの分子系統解析(たとえばミトコンドリア・イブやY染色体アダム)によっても、現代人の共通祖先がアフリカに存在していたことが確認されており、これがアフリカ単一起源説を強く支持しています。


補足用語解説:

  • (*1)原人:ホモ属に属する化石人類の一群。猿人から進化し、旧人や新人へと移行したとされるが、「旧人→新人」進化の連続性には否定的な見解もある。
  • (*2)ネアンデルタール人:約4万年前までヨーロッパや西アジアにいた旧人類。現生人類との混血が確認されているが、気候変動や病気などにより絶滅したとされる。
  • (*3)ジャワ原人:インドネシアのジャワ島で発見されたホモ・エレクトスの亜種。かつては現生人類の祖先と見なされていたが、現在では直接の祖先ではないというのが一般的。
  • (*4)北京原人:中国・北京の周口店で発見されたホモ・エレクトスの亜種。年代は約68万~78万年前と推定されている。
  • (*5)多地域進化説:原人がアフリカを出て各地で独立進化し、それぞれの地域で新人(現生人類)になったという旧説。現在ではほとんど支持されていない。
  • (*6)アフリカ単一起源説:現生人類はアフリカで誕生し、そこから世界各地に広がったという説。ミトコンドリアDNAやY染色体の研究からも強く支持されている。
  • 出典:ウキペディア

2.日本人はどこから来たか
 日本人の起源を科学的に研究した最初の人物は、1854年に来日したシーボルトとされています。その後、1879年に大森貝塚を発掘したモースは、縄文人と当時の日本人の骨格の違いから、両者を異なる人種と考えました。これ以降、日本人の起源に関する学説が次々と提唱されるようになり、1960年代には主に以下の3つの説に集約されるようになりました。

  • 移行説(変形説):
    縄文人が日本列島に最初に定住し、弥生時代に大陸から渡来した人々との混血を通じて、徐々に現代の日本人が形成されたとする説。縄文人の特徴が徐々に変化していく過程が重視されます。
  • 人種交替説:
    縄文人は最初に日本列島に住んでいたが、弥生時代に渡来した人々に置き換えられた(交替した)とする説。かつては有力視されましたが、近年の研究では完全な交替ではなく、混血による形成が示唆されています。
  • 渡来説:
    大陸からの渡来人(複数の集団)と縄文人との混血によって現代日本人が形成されたとする説で、現在もっとも一般的に受け入れられている見解です。

 こうした論争に大きな影響を与えたのが、埴原和郎氏による「二重構造モデル」です。埴原氏は1979年から1981年にかけて、男性711体・女性537体の頭骨を調査し、日本人の形質には地域ごとに規則的な勾配があることを明らかにしました。
 1991年に発表された「二重構造モデル(説)」では、日本列島の基層には石器時代に東南アジアから移動してきた縄文人(原アジア人)が存在し、そこに弥生時代から古墳時代にかけて、北東アジア起源の渡来人が上乗せされるように分布したとされます。そして、両集団はやがて混血し、その進行度には地域差があり、現在の日本人の地域的な形質差を生み出したとするものです。

 近年では、ゲノム解析技術の進展により、本州のみならず、沖縄や北海道においても縄文人と渡来人の混血が進んでいたことが明らかになっています。

 北海道に関しては、かつては縄文人が他集団と交わらず、そのままアイヌ人へと変化したと考えられていました。しかし、琉球大学の佐藤丈寛教授による礼文島の人骨DNA分析により、北海道には少なくとも2度の外部からの移住があったと考えられています。第1の移住は約2000年前にカムチャッカ半島からの人々によるものであり、第2は約1600年前にアムール川流域からの人々によるものでした。これらの集団は現地の人々と混合し、オホーツク文化を形成したとされます。

 また沖縄においても、かつては縄文人の子孫が外部との混血なしに続いてきたと考えられてきましたが、琉球大学の木村教授による研究では、農耕や鉄器が普及し始めた11世紀後半以降、渡来人と九州以北の縄文系の人々が沖縄へ移住し、もともとの住民と混血していた可能性が示されています。

3.日本人のDNA解析について
 DNA解析には、ミトコンドリアDNAを用いて母系の系譜をたどる方法と、Y染色体を用いて父系の系譜を追う方法の二つがあります。性染色体の組み合わせは、女性がX染色体を2本(XX)、男性がX染色体とY染色体を1本ずつ(XY)持つことで成り立っています。Y染色体は父から息子にのみ受け継がれるため、男性の系譜をたどる際に有効な手段です。
 人類史において、男性は狩猟や航海、戦争などによって広範囲に移動することが多く、移動先の女性との間に子を成すことで、Y染色体を地理的に広めてきました。これにより、Y染色体の分布は人類の移動史を反映しています。
 日本人男性のY染色体を調べた結果、アジアの中でも特徴的な構成が見られます。以下は主な系統の内訳です(出典:ウィキペディア):

  • D系統(D-64):約35%
    およそ3万5千年前、旧石器時代に日本列島へ到達した縄文人に由来する。現在では主にチベットやアンダマン諸島などに見られる。
  • O-M176系統:約30%
    南アジアから移動してきた系統で、7〜8千年前に朝鮮半島で急速に増加。その後、日本列島にも渡来。
  • O-M122系統:約20%
    南アジアで広く分布しており、日本にもこの系統が存在する。
  • その他の系統(C-M8、M-231など):約15%
    複数のマイナーな系統から構成される。。
  • これらのY染色体の構成から、日本列島では、先住の縄文人と後に渡来した人々が長い時間をかけて穏やかに混血してきたことがうかがえます。急激な民族交代ではなく、持続的かつ重層的な人の流れによって、現在の日本人の遺伝的特徴が形成されたのです。

4.まとめ
 DNA解析の進展により、日本人の起源について、現生人類(ホモ・サピエンス)はアフリカを出て約3万5千年前に日本列島に到達し、石器時代を経て縄文人として定住しました。その後、弥生時代以降に大陸から渡来した弥生人との混血が進み、現在の日本人が形成されたと考えられています。

 興味深いのは、縄文人のDNAが現代のチベット人に近い特徴を持っていることです。これは、かつて縄文系の遺伝子がアジアの広い範囲に分布していた可能性を示唆しています。しかし、黄河流域に中華文明が誕生し、帝国が周辺地域への拡張を進める過程で、これらの地域ではたびたび民族交代と王朝交代が繰り返されました。その結果、縄文人に由来する遺伝的痕跡は多くの地域でほとんど失われたと推測されます。

 一方で、日本列島は海に囲まれた島国であり、またチベット高原は地理的に隔絶されていたため、中華帝国の侵略や同化政策の影響を受けにくい環境にありました。こうした地理的条件により、これらの地域ではアフリカを出た初期の人類の遺伝子が比較的よく保存されていると考えられます。

 日本列島では渡来人との混血が急激ではなく、長い時間をかけて穏やかに進んだこともあり、民族的・文化的な継続性が保たれてきたといえるでしょう。

参考文献:
日経サイエンス「平安時代にも縄文人、多様な古代日本 混合には地域差」2024年7月20日
大論争日本人の起源  斎藤成也、関野吉晴、片山一道、武光誠  宝島社新書
日本人の誕生  斎藤成也編著  英和システム

(つづく) 吉末直樹