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私の英国赴任のきっかけ(その4)

第4回 英国のEU離脱の国民投票

ここまで1980年代の日本と欧州の貿易不均衡、貿易摩擦、アンチダンピング課税について話をしてきましたが、今日取りざたされている英国のEU離脱について触れておきたいと思います。1980年代の英国は多くの移民が暮らしており、我々日本人も移民ではありませんが、異国人であることに変わりはありませんでした。当時はECと呼ばれていましたが、島国英国から見ての大陸との間で人、物、金が自由に往来できることは英国にとって大きなメリットでした。従って、英国がEUから離脱するなどとは夢にも思ったことはありませんでした。

英国のEU離脱は、メイ首相のEUとの交渉の結果、本年2019年10月31日まで期限が延長されました。メイ全首相の後任となったジョンソン氏は「期限内に離脱する覚悟があれば、必要な調整はできる」と述べ、ソフトランディングのための取り決めも無くEUを抜ける「合意なき離脱」を否定していません。
EUは欧州の主権国家である28ヵ国が、人、物、金を集中的に管理するという世界でも類を見ない連合国家の仕組みです。2015年の統計では、EUが擁する人口は5億人を超し、経済規模は約16兆ドル(邦貨1600兆円:日本の国家予算の16倍)で、世界最大級の経済圏として、アメリカ、中国と比較されますが、以下の加盟国から構成されています(現在28ヵ国)。

1952年、ベルギー、西ドイツ、フランス、イタリア、ルクセンブルク、オランダ
1973年、デンマーク、アイルランド、英国
1981年、ギリシャ
1986年、スペイン、ポルトガル
1995年、オーストリア、フィンランド、スウェ―デン
2004年、チェコ、エストニア、キプロス、ラトビア、リトアニア、ハンガリー、マルタ、ポーランド、スロベニア、スロバキア
2007年、ブルガリア、ルーマニア
2013年、クロアチア

EUには欧州議会、欧州理事会、欧州委員会、理事会の4つの主な機関が有ります。

・欧州議会:EUの国会に当たるもので、ルールや法律を議決する機関である。
・欧州理事会:「EU首脳会議」とも言われ、各国のトップが定期的に集まってEUの針路や直面する課題について議論する。
・欧州委員会:EUの内閣に当たる行政の執行機関で、新しい法律を作る権限を持っている。欧州委員会によって作られた法律案を、欧州議会、EU理事会で議論し、採決する。
・理事会:担当の閣僚が出席して議題毎に実務的な議論をする機関です。

EUは主要な国際会議で、加盟国とは別の一つの機関として参加し、例えば、2015年パリ気候変動枠組み条約締結国会議(COP21)にも参加しています。また、EU単一市場の「シングル・パスポ-ト制」は、EU加盟国のどこか1ヵ国で免許や認可を得れば、まるでパスポートを持った様に、他の27ヵ国のどこでも追加の免許など取らずに自由に業務が展開出来る制度です。
このようにメリットのあるEUから離脱したいと言い出した英国の理由は何なのでしょうか。誰しも疑問に思うことだと思います。2016年は、記録的な事件が起きた年として強く21世紀の欧州史に残るでしょう。この年に実施された国民投票で、英国民はEUから離脱するという決断を下しました。1952年、西ドイツ、フランス、イタリアとベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)が結成した欧州石炭鉄鋼共同体( ECSC )から65年が経とうという長い歴史の中で、初めて直面したEUの危機です。

人口5億人のEUの自由に物やサービスの取引が出来るという、世界に類を見ない統合された仕組みから、わざわざ英国が抜け出すはずは無い、と思っていた大方の予想に反し、英国の人々は大英帝国の栄光を取り戻す「 独立 」を選びました。最終集計によると、離脱票は全体の52%、一方の残留票は48%でした。
国民投票の翌日(2016年6月24日)に実施された世論調査において、離脱に投票した有権者の理由は次のようなものでした。

① 49%:「英国に関わる決定は英国が行う」
② 33%:「英国の移民と自国国境に対するコントロールを回復する」
③ 13%が「EU残留では、英国の権限を拡大する選択権が無い」
④ 6%が「貿易と経済の面でEUの外にいる方が有利である」

英国をEU離脱になびかせる要因の一つになったのは次のようなものです。

1. 金融政策は同一、財政規律は個別
EUの経済統合を象徴する単一通貨ユーロは、1999年初めに11ヵ国の決済通貨として産声をあげた。2009年10月、ギリシャの政権交代をきっかけに、前政権が同年の財政赤字を実態より大幅に低く申告していた事が判明してから、ユーロ体制の綻びが至る所に表れる様になった。2011年12月のEU首脳会議では、財政規律を強化する措置を盛り込んだ新しい条約を結ぶ事で合意した。しかし、加盟国がそろってEU条約を改正するのが本来の姿であるが、ユーロに参加していない英国のキャメロン首相(当時)は独仏主導のEU条約改正案を「英国の利益にならない」と拒否し、英国の孤立が深まった。

2.シリアを中心とする難民に受け入れなども含め、域内労働者の自由移動について不協和音が高まった。労働者の移動の制限は、域内移民の送り出し国であるポ-ランド等の中東欧諸国が強硬に反対し、大きな懸案となった。議論の末、他の加盟国から労働者が流入する場合に制限を可能にするセーフガード・メカニズムを導入することで折り合った。

3.キャメロンは、「改革された欧州連合に於ける英国の為の新たな解決」と題する書簡を欧州理事会に送付し、具体的な改革要求項目を公式に提示した。このキャメロン書簡のEU改革要求は、

 第1は、英国を含む非ユーロ圏諸国の利益を守る事
 第2は、EUに於ける規制撤廃
 第3は、国内議会のEU法案に対する拒否権
 第4は、域内労働者の自由移動の制限

等であったが、一部は容認されたが、第4項は容認されなかった。

(次号へつづく)