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私の英国赴任のきっかけ(その5)

第5回 ブレグジットBrexit交渉の紆余曲折(1)

私は英国に都合20年あまり関係しました(1985~2005年)。うち5年はセイコーエプソン駐在員として過ごしましたが、残りは赴任前の出張であったり、赴任終了後の滞留家族への支援とテクノファ創立後のこれまた調査、ISOエキスパートとしての活動であったりです。この20年余りの間にいろいろな経験をしましたが、今回の英国のEU離脱劇は、「驚天動地」とはこのようなことを言うのかと、本当にびっくりしました。
英国のEU離脱は、英国Britainと離脱Exitをつなげた語で、“ブレグジットBrexit”と呼ばれるようになりました。Brexitを巡る英国と欧州の交渉は、以下のような双方に大きなメリットとデメリットがあるために難航を続けています(まだ現在進行形で表現しなければなりません)。

世界で事業展開をする金融機関や製造会社等にとっては、EU内に拠点を置くことが大きな魅力の一つとなっています。特に金融機関は、ロンドンの金融街を欧州拠点と位置づけ、パスポ-ト制度を生かしてEU域内でのビシネスを展開する例が多くなっています。巨大な単一市場を抱えるEUは、世界のル-ル作りでも大きな影響力を発揮しています。一つは工業製品やソフトウエア等の規格を欧州内で決め、それを世界標準に主導することで、欧州製品が市場で有利に展開できることです。二つ目は、欧州の単一市場できちんと競争を確保するという観点から、EUは厳格に独占禁止法ともいえる競争法を適用し、競争ルールを明確にしています。欧州委員会はマイクロソフトやグーグルといった米国の巨大企業に対しても、競争阻害を理由に数億ユーロ規模の多額の制裁金を課したり、競争法違反で警告をしたりと、厳格な姿勢を取っています。

EUでは、債務危機を経て年金や社会保障を含めた歳出のカットや消費税に当たる付加価値税率の増税を実施し、歳入と歳出の両面で財政改革に取り組み始めました。当然の事ながら、国民の生活に痛みと苦しさを与えることになるため、各国とも国民から強い抵抗を受けています。財政再建を進める段階で、経済成長が頭打ちとなり失業の増加も起き、スペインでは一時期若者の失業率が50%近くに上昇しました。
このような非常に厳しい雇用状況になり、緊縮財政に対する抵抗が強まりましたが、この際に頼りになったのがドイツでした。ドイツは、2003年、シュレーダー前首相が提示した「アジェンダ2010」という構造改革で、労働市場の柔軟化、失業保険や健康保険の給付抑制策等を並行して進め、企業部門を活性化して経済を良くする改革を達成しました。他の欧州諸国に比べて割高だった賃金水準を制御した事で、ドイツは産業競争力を回復し、経済は著しく改善しました。力強いリ-ダ-であるドイツはEUの安定の軸になりますが、一方で「独り勝ち」の構図が鮮明になり過ぎ、域内からのドイツに対する反発が強まりました。このような場面で、声が大きくてEU首脳が一目置く英国の存在は、貴重なバランサー(調整者)として大きな役割を果たしていました。
英国の離脱劇は、次の通りの、65年を超す欧州統合の歴史の中で、とてつもない大きな変化を強いています。

1952年:欧州石炭鉄鋼共同体( ECSC )が発足
1967年:EUの前身、欧州共同体( EC )が発足
1973年:英国がECに参加
1975年:ウィルソン労働党政権がEC残留の是非を巡り国民投票。残留支持が多数に
1990年:西独、仏等5か国が国境検問を廃止するシェンゲン協定に調印。英は不参加
1992年:通貨危機でポンドが欧州の為替相場メカニズム( ERM )を離脱
1993年:マーストリヒト条約が発効、欧州連合( EU )発足
1999年:EU11ヵ国が単一通貨ユーロを導入。英国は不参加でポンド体制を維持
2004年:EUの東方拡大で中・東欧10か国が一斉に加盟
2012年:債務危機を受けてEU25ヵ国が財政規律強化の新条約に署名。英国は不参加
2013年:キャメロン英首相がEU残留の是非を問う国民投票の実施を表明
2015年:英保守党が総選挙で勝利。キャメロン首相が国民投票を明言
2016年:英国民投票を実施。離脱支持が52%と過半数に

上表の通り、英国がEUの前身であるECに参加したのは、1973年でした。それから43年の間、英国は様々な曲折を経ながら、ドイツ、フランス等大陸の各国と協力して大欧州のプロジェクトに関わり続けてきました。2017年3月は、欧州統合の基本理念を定めたロ-マ条約が締結されてから60周年の記念日だったのですが、その日を待たずしてEU統合の歯車を初めて逆回転させたのです。
英国に暮らすEU市民約300万人と、欧州大陸にEU市民として移住した英国国民約120万人の夫々の権利がどの様な影響を受けるのか、EU予算上の英国の財政的義務はいつ終了するのか等の問題は、イギリスがEUを離脱するに当たって事前に解決すべき重要な問題ですが、それよりも致命的な問題が交渉過程で徐々に明らかになってきました。

イギリスの交渉目標は、関税同盟から離脱し単一市場に加わらないこと、しかしそれ以外の事では可能な限り摩擦の少ない方法に依り物品・サ-ビス貿易を確保することでした。これに対して、EUはイギリスとの間にバランスが取れた広範な自由貿易協定を締結することを交渉目標としていました。ここで最大の問題として浮上したのが北アイルランド問題でしたが、両者共に北アイルランドでの「ハード」な国境管理を回避することを望みました。「ハード」な国境管理とは、税関職員、警官や兵士に依り厳格に管理されている国境を意味し、物理的な関連施設を伴うことから「ハード:物理的」と呼ばれます。

(次号へつづく)